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* 1 * 再会は金曜日の夜に

「貴女あたくしをバカにしているの? ゼリーといえば、アッチの、潤滑ゼリーの方よ!」 「も、申し訳ありませんお客様! ただいま持ってまいります!」  マダム然とした年配の女性に怒鳴られ、日下部(くさかべ)三葉(みつば)は顔を真っ赤にして薬棚から商品を探し、先ほどまで手にしていた子供用投薬ゼリー『おくすりのめるね』をもとの場所へ戻すのだった……        * * *  自分では上手くやっていけたと思っていても、周囲の評価は異なっていたりする。  六年間の大学生活を終えて総合病院の調剤薬局で薬剤師として働き始めた三葉にとって、この決断は苦渋の選択だった。  けれど、自分がいることで人間関係が円滑にならないというのならば、自分が舞台から退場するしかないではないか。  いつまでも引きずっている方が後々まで影響を及ぼしてしまう。  それならば逃げることも正しいのだと、そう思って一年経たないうちに辞めた。  自分にとって馴染みのあった病院からも離れて、東京の叔父が昔から営んでいる街の薬局に転がり込んだ。  新宿広小路薬局(しんじゅくひろこうじやっきょく)。名前を聞いたときはもっと大きな薬局だと思ったのだが、実際のところはうなぎの寝床のように店の奥が細長い、古くてちいさな薬局だった。  JR線の新宿駅の西口改札を出て小滝橋通り沿いに少し歩き、青梅街道とぶつかりあう交差点を東口方面へ向かう新宿大ガードの手前のごみごみした金券屋や飲み屋街の細道に位置しているため、広小路でもなんでもないのだが、先代が名付けた頃はもっと土地が大きかったから広小路でも違和感がなかったのよと叔母は笑いながら説明してくれた。ギャンブルで大敗して泣く泣く土地を切り売りして辛うじて残ったのがこの薬局だということも今では笑い話らしい。 「三葉ちゃんも驚いたでしょ。こんな小さな薬屋さんで」  午前九時から午後九時まで。叔父夫婦が営むこの薬局は近所の都立病院の処方箋も受け付けており、昼間はいちばん奥の調剤室にパートのおばちゃん薬剤師が入っていることもある。三葉もはじめは調剤室担当のパートさんが旦那さんの転勤で辞めるというのでその代わりとして店に入ったのだ。  だが、それからひと月もしないうちに叔父が交通事故で入院して店頭に立つことができなくなってしまった。  そのため急遽自分が店長代理として調剤室の外も担当することになったのだが、病院で処方箋に出されたお薬を淡々と準備するだけの仕事とは異なり、店頭で市販薬やサプリメントを前に説明したり販売したりする仕事は口下手な三葉の新たな試練になったのである。    * * *  ――今日は金曜日か……あぁ、気が滅入る。  日用品も取り扱うような広々としたドラッグストアとは異なり、お客さんはカウンター越しにいる白衣の薬剤師と対面で会話をしながら薬品を購入する。三葉が店頭ではじめに行った作業は商品名とそれが置かれている場所を暗記することだった。  見舞いに行った際に叔父は「三葉ちゃんの知らない商品もいっぱいあるだろうから勉強しろよ」と労いの言葉をかけてくれたが、実際に商品棚を見るまでは気にもかけていなかった。  たいてい、叔父の馴染みの客がほとんどで、新顔の三葉が探すのに戸惑っていると、どこの棚に何があるのか教えてくれたからだ。  けれど、そうでない客もいる。  店頭に立った最初の金曜日の夕方に、子供用投薬ゼリーと性交渉で使う潤滑ゼリーを間違えて怒られたのは記憶に新しい。  ただでさえ金曜日は忙しいのだ。なぜなら…… 「いらっしゃいませ」 「皇帝液」 「900円です」  仕事帰りのスーツ姿の男性がドリンク剤を購入し、その場で飲んでいく。入れ替わるようにカップル連れが来て、コンドームを買い求めてきた。OLらしき女性が店のドリンク棚に並んでいる精力剤を興味深そうに眺めている。結局男性は彼女のためにと奮発して一番高い、一万円の精力ドリンク『マムシホルモンオット精』を買っていった。  このまま歌舞伎町のホテル街へ向かうのだろう。お互い腕を組みながら店を出ていった。  ……なぜなら、そう、金曜日の夜は長いから。  ――お楽しみはこれからなのね。  三葉は病院の調剤薬局ではけして見ることのなかった光景を見送りながら、苦笑を浮かべる。昼間は病院の処方箋が主要だが、夜になるとこの薬局は精力剤のメッカに変わる。  ちいさいけれど、精力剤の数ならどこの薬局にも負けない自信があるのだと叔父が偉そうに教えてくれたが、うら若き姪っ子薬剤師が精力剤を売りつけることになるとは考えていなかったのだろう、すこしだけ申し訳なさそうな顔をされてしまった。経営戦略として間違っているわけではないので三葉が文句を言う筋合いはないが、たしかに叔父の代わりに店頭で精力剤を販売しだした当初はお客さんに驚かれた気がする……  商売だから恥ずかしがってもいられない。二か月経ってようやく客とのやり取りも板についてきた。酔っ払いに絡まれても笑顔でかわせるだけの度胸もついた。精力剤についての知識も勉強した。それに、お店にやってくるお客さんたちを観察するのが楽しい。  新しい職場で三葉はようやく自分の居場所を見つけたと思っている。  時刻は午後八時五十五分。  ガタガタと音を立てながら自動扉が開き、金曜日の夜の最後の客がやってくる。 「いらっしゃ……え」 「やっぱり三葉くんだったのか」  ――どうして彼がここに? わたし、黙って前の職場から姿を消したのに。 「探したからだよ」  カウンター越しに瞳を合わされて、硬直する三葉に彼は当然のように応える。  そして。 「君がいなくなってから、()たないんだけど、どうしてくれる?」  ここには有数の精力剤があるのだろう?  にやりとほくそえみながら、彼……医学博士、大倉琉(おおくらりゅう)は三葉に要求するのだった。
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