19 / 22

第19話

   * * *  眠るのが惜しいな。  琉偉はけだるい体を持て余していた。  疲れ切った体は幸福に満たされている。このまま眠りに落ちてしまいたい。  真理子……。  琉偉は腕の中でスヤスヤと眠る、愛しい人の髪を撫でた。  眠ってしまえば、彼女が消えてしまいそうな気がする。たしかな真理子の温もりは、夢ではないかという気すらしていた。  ニックに無理を言って、神戸に上陸した。真理子の住所は乗船時の個人情報で調べた。  あきらかにルール違反だ。  それがどうした、と琉偉は鼻先であしらった。  どこにでも好きに訴えてくれればいい。首になったってかまわない。――真理子を失うことに比べれば、どうということもない。  どうしてもっとはやく、真理子に愛をささやかなかったのだろう。  どうして期間限定の恋だと思わせておいて、サプライズでプロポーズをするなんて、のんきな考えでいられたのか。 「真理子」  ささやき、彼女の額に唇を寄せる。しっとりと濡れた肌は激しく愛し合った証だった。真理子は琉偉を求めた。琉偉が思うよりも激しく、体中で求め、受け止めてくれた。 「ああ、真理子」  胸がつぶれるほどの愛おしさに、琉偉はうめいた。愛を交わす、ということのすばらしさを噛みしめる。  いままでの関係は、なんて薄っぺらでつまらないものだったのだろう。  見た目ばかりが輝かしい、中身のない恋愛しか知らなかった琉偉の、渇きひび割れた心に真理子という雨が降り注ぎ、それは海となって琉偉を満たした。 「真理子」  眠る彼女の無防備な姿に、琉偉はほほえむ。  なんて愛らしいのだろう。  なんて愛おしいのだろう。  言葉の不自由さに気づき、琉偉は真理子を抱きしめる。  この感情を形容する適格な言葉が見つからない。言葉をあてはめようとすればするほど、本質から遠ざかる気がする。  けれど――。 「愛している」  それ以外に伝える言葉がないので、琉偉はそれを口にする。眠る真理子には聞こえないとわかっているのに、言わずにはいられない。 「真理子……、愛しているよ」  魂の奥底から、こんこんと湧き出る想いを乗せて、琉偉は真理子にキスをする。  やがて琉偉も激しい愛の交合に疲れた体に引きずられて、ゆったりと眠りの中に意識を落とした。  目覚めると、腕の中に真理子がいた。彼女はじっと琉偉の胸に寄り添っている。身じろぎをすると真理子が顔を上げたので、琉偉は彼女にキスをした。 「おはよう」  ふたりを祝福するかのように、部屋には朝日が満ちていた。まっさらな光に照らされた真理子は、とても美しい。 「愛しているよ、真理子」  自然と口を突いて出た言葉に、真理子がはにかむ。 「私も……、琉偉」  2度、3度と唇を重ねて、笑顔を交わす。このままずっとこうしていたいと思った矢先に、腹の虫が鳴いた。  なんてデリカシーのない胃袋なんだと舌打ちすれば、真理子がクスッと肩をすくめた。 「お腹、空いたね」 「――ああ」  仕方なくそう答えると、真理子が腕の中から出て行こうとする。しっかりと引き寄せると、真理子の腕が琉偉の背に回った。 「離れたくないけど……、ずっと抱き合っているわけにもいかないから」 「現実的だな」 「うん。……夢じゃ、ないから」  しみじみとつぶやいた真理子の言葉に、そうだと琉偉は幸福を抱きしめる。  これは夢ではない。現実なのだ。――真理子が腕の中にいる。 「ちょっと、腕をゆるめて」 「放したくない」 「朝ごはん、作れないよ」 「真理子が作ってくれるのか」 「ほかに、誰が作ってくれるの?」  甘えているのか、小首をかしげてほほえむ真理子に、琉偉はまたキスをした。 「俺が作ろう」 「えっ」  起き上がると、真理子も起き上がった。 「眠っていていい。無理をさせたんじゃないか?」  腕のなかに簡単に納まってしまうほど、華奢な真理子を思うさま味わった。激しく揺さぶり、彼女を翻弄した。きっと疲れているだろうと気遣った琉偉に、真理子は真っ赤になって首を振った。 「大丈夫」 「そうか」 「うん」  なんとなく唇を寄せた琉偉に、真理子がキスを返す。ベッドから降りた真理子は別の部屋へ移動し、すぐにシャワーの音が聞こえた。  あそこがシャワールームなのか。  そう思った琉偉は室内を見回した。生活感あふれる室内は、きちんと片づけがなされていた。ふたりの服が床に脱ぎ散らかされている。それを拾ってベッドに乗せて、琉偉はまたベッドに横になった。  真理子の香りがふわりと琉偉を包んだ。  彼女がいる。  安堵が広がる。  受け入れてくれた。  なにも言わずにいなくなったのは、琉偉に愛想をつかしたからではなかった。  では、なにが理由で真理子は突然、下船をしてしまったんだ。  伝言もなにも残さず、俺の前から去ってしまった理由はなんだ。  シャワーの音を聞きながら、琉偉は疑問を膨らませた。  想像をしてみても、真実にはならないから意味がない。  ムクリと起き上がった琉偉はシャワールームへ向かい、ノックもなしにドアを開けた。 「真理子」 「きゃっ」  驚く真理子に迫り、壁に手をつく。シャワールームはふたりが立っているのがやっとなほど、狭かった。まるでビジネスホテルの浴室だ。  琉偉の肩にシャワーがかかる。 「どうして、俺の前から姿を消した」  ニックの言っていた、誰かになにかを吹き込まれたのでは、という予測が脳裏をよぎった。 「それは……」  真理子がうつむく。 「それは?」  顔を近づけると、シャワーの水音に負けそうなほど、ちいさく真理子がつぶやいた。 「琉偉にサヨナラって言われたくなかったから」 「――え?」  真理子が体を縮める。  怯えさせたのだろうかと、琉偉は真理子の肩に手を置いた。 「どういうことだ」 「……琉偉に別れを告げられたくなかったの」  ますますわからない。  琉偉はシャワーを止めて、真理子の顔をのぞきこんだ。 「きちんと説明をしてくれ」  キュッと唇を結んだ真理子が胸の前で指を組む。いじらしいしぐさに、琉偉の心がやさしく膨らんだ。 「俺に別れを告げられたくない、というのはどういう意味だ」  真理子が顔を上げる。その目が濡れているのを見て、琉偉は目じりに唇を寄せた。 「期間限定の恋だから……」 「うん?」 「船に乗っている間だけの恋だから、博多で降りるときに、さよならって言われるでしょう? その言葉を聞きたくなかったの。――琉偉と離れたくなかったの」 「でも、真理子は俺から離れた。なにも言わずに、姿を消してしまった」 「……さよならが言えないから」 「言わなくてよかったんだ」  ボロボロと真理子の目から大粒の涙がこぼれて、琉偉はそっと彼女を胸に抱きしめた。 「すまなかった。――とっくに割り切った恋愛なんて卒業してしまっていたんだ。俺は真理子を愛している。ウソじゃない。でなければ、押しかけたりなんてしない」  ふ、と真理子が視線を上げる。濡れたまつ毛が美しいな、と琉偉は笑った。 「そんなに不安そうな顔をしなくてもいい。不安なのは、俺のほうだ。真理子に捨てられたんだと思った。俺はもう必要ないんだと……」 「どうして?」 「いきなりいなくなったから。――理由も告げずに消えてしまうなんて、ひどすぎる」 「……それは、その――、ごめんなさい」 「いいさ。こうして受け入れてくれた」  真理子はふたたびうつむいて、琉偉の胸元でモジモジとした。彼女が言葉を見つけるのを、琉偉は待った。 「どうして、ここにいるの?」 「真理子を追いかけてきたからだ」 「どうやって?」 「船を降りて、電車に乗って」 「私の家を知っていたのは?」 「乗船者名簿を確認した。規程違反だ」  おどけて言うと、真理子が目をまるくして息を呑んだ。 「バレたら大問題よ」 「しかも俺は、勤務放棄もしている。仕事の途中で船を降りてしまったんだからな」  自分がどれほど本気であるのかを伝えたくて、琉偉はわざと顔をしかめた。真理子の唇がわなわなと震え、顔から血の気が引いていく。 「ク、クビになってしまうわ」 「なるかもしれない」 「どうして平然としているの!」 「真理子のほうが大切だからだ」 「っ!」 「そんなに大きく目を開いたら、こぼれおちてしまうぞ」  クスクスと額にキスをすると、真理子は真っ赤になった。 「青くなったり赤くなったり、忙しいな。真理子は」 「だって……」  うろたえる真理子を落ち着かせるため、しっかりと抱きしめる。 「こうやって、真理子といられるのなら、ほかはもうどうなってもいいんだ。――それくらい、愛している。待ち合わせ場所に現れない君を、どれほど心配したか。探し回って、下船したと知ったときは最悪だったな。足元が崩れて奈落に落ちる、なんて比喩があるが、まさにその通りだと体験させられたよ」 「……琉偉」 「どうしても理由を知りたかった。失いたくなかった。真理子と俺は、しっかりと繋がっていると思っていたから。どちらもがもう、ライトな恋愛ではないと確信していたのに、いなくなってしまったから。――俺は博多で、君にプロポーズをするつもりだった」  真理子が息を呑む。琉偉はクスリと笑みの呼気を真理子の鼻先に吹きかけた。 「その相談をしていた矢先にいなくなられたんだ。どれほどの衝撃を受けたか、想像ができるか?」 「……でも、だって、そんな……、そんなそぶりは少しも………」 「なかった?」  甘い声でささやけば、真理子は耳まで赤くして琉偉の胸にしがみついた。 「体中で、伝えていたんだが……、伝わりきれていなかったのなら、仕方ない」  琉偉は真理子を抱き上げた。 「きちんとわかってもらえるまで、たっぷりと愛撫をすることにしよう」 「っ! ――バカ」  とろける顔でキスをして、真理子を下ろす。 「シャワーを浴びて、服を着て、ご飯を食べよう。真理子の日常を俺に教えてくれ。そして、その日常のひとつに俺を加えてほしい」 「……琉偉」 「いいだろう?」 「――うん」  はにかんだ真理子に感謝のキスをして、琉偉はコックをひねってシャワーを出した。 「なら、さっさとシャワーを浴びてしまおう。時間がないんだ」 「時間って?」 「船を降りるときに、猶予は博多に停泊をするまでの3日間と約束をしたんだ。それまでに、やるべきことを済ませてしまわなければな」 「やるべきことって?」 「真理子の家族と俺の母親に、結婚をするとあいさつに行くんだ」 「えぇえええっ!」  クックッと喉を愉快に震わせながら、全身で驚く真理子を抱きしめる。 「もう2度と、俺の傍から逃がしはしないぞ」  耳元でささやくと、真理子の首がコクンと動いた。
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!