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第10話

   * * *  真理子はポカンと琉偉を見つめた。彼はなにを言っているのだろう。――いや。言っている言葉の意味はわかる。心理的に理解ができない。  琉偉のほほえみからは、本当かウソかを読み取れなかった。たしかにそういう言葉を交わしたし、真理子も乗船の間は琉偉が恋人だという認識を、信じられない思いで受け入れた。けれどそれは遊びの付き合いで、嫉妬をするほどの関係ではないはずだ。  それなのに、琉偉は嫉妬をしたと言った。その結果があの言動だと。  ……どう答えればいいんだろう。  真理子は自分の返答を待つ琉偉を、ただながめた。そうしていても時間が経つだけで答えは出ないとわかっているのに、琉偉から目を離せない。さっきまでの羞恥や苛立ちはキレイさっぱり消えていた。 「……とにかく、カバンを取りに戻るから」  このままここで見つめ合っていてもしかたがない。きっとあの人――日下さんは、私がカバンを残していったままだから、席を離れたくても離れられずにいるだろう。 「俺もついていくからな」 「勝手にして」  たしかに琉偉の言うとおり、彼も共に来て事情を説明してくれたほうが、私ひとりでアレコレ言うよりもいいかもしれない。というか、楽だ。  真理子は深呼吸をして、スカートにシワがついていないかなど、あらためて身づくろいを確認してからドアに手をかけた。従業員専用通路のドアは重く、ノブを下げて力を込めようとすると、琉偉が上から手を出した。背後から抱きしめられる格好になって、ドギマギする。 「ほら。開けているから、通って」 「……うん」  背中に彼の体温を感じ、頭上から降ってくる声に耳が赤くなる。ドアの隙間をすり抜けた真理子は、扉の閉まる音を聞きながら、スタスタと足早に席に戻った。 「日下さん」  日下とその妻が見えたところで小走りになる。 「あの……、すみません」  頭を下げれば、日下は鷹揚に片手を上げてうなずいた。 「おおかた、彼氏がなにか勘違いをした、というところじゃないのか。この船はいろんな形の恋愛が、おおらかに行われているからな」  ニコリとした日下の視線が真理子の頭上を通り過ぎ、背後に立つ琉偉に向かう。 「おっしゃるとおりです。俺はあなたが真理子の恋人なのではと邪推をして、問い詰めるために連れて行きました」  ウンウンと日下が幾度かうなずけば、彼の妻が隣でクスクスと口元を手で隠す。 「若いって、いいわねぇ」 「そういうぶつかり合いも、関係を深くするためには必要だ。おおいにやればいい」  言いながら日下が手のひらで琉偉に座るよう勧め、琉偉は遠慮なく日下の隣に腰かけた。そうなると真理子は、カバンを持って「それじゃあ」と去ることもできない。日下の妻の隣に座り、飲みかけの、すっかりぬるくなってしまったアイスティーに口をつけた。 「それで、ええと……、真理子とはどういう関係ですか」  ギョッとして顔を上げた真理子は、気負いもなにもない琉偉の横顔を見た。当たり前の顔をして日下に問うている琉偉に、心の中で「なにを聞いているのよ」と毒づきつつも、双方が会話をしてくれるのなら、余計な説明をせずにいられるとも考える。  居心地が悪すぎて、なにもしゃべりたくなかった。 「彼女がショーウィンドウの前でウロウロしていたから、妻が声をかけたんだよ。なあ、早苗」 「ええ。そうしたら、こういうお店には入ったことがないって言うじゃない? なんだか可愛らしくて、それじゃあいっしょに入りましょうって誘ったのよ。――娘がいたら、こんなふうだったのかしらって、お買い物が楽しくなっちゃって。それで、時間があるならお茶もって誘ったの」  ねえ、と言葉尻で同意を求められ、真理子はうなずいた。 「いま着ているドレスは、私の見立てなのよ」  ちょっと胸をそらした早苗は、真理子を褒めろと琉偉に目配せをした。琉偉の視線が真理子に触れる。ドキリとした真理子が唇を引き結んで彼の感想を待っていると、琉偉は陽光のきらめきに似た笑みを浮かべて「ステキだ」と目を細めた。 「ありがとう」  真理子が照れくさそうに応じると、早苗は満足げに息を吐き出し、日下にほほえみかける。 「ねえ、あなた。そろそろ……」 「ああ、そうだな。――それじゃあ、ショーがはじまる時間なので失礼するよ」  日下が腰を上げると、琉偉は素早く立ち上がって伝票を手に取った。 「迷惑料を支払わせていただきたい。――かまいませんね」  日下はちょっと考えてから、軽く琉偉の肩を叩いた。 「あまり、気張りすぎないようにな」  そう言って去っていく日下夫婦に、真理子も慌てて立ち上がり、頭を下げる。すると日下は片手を上げて、夫人は「またね」とちいさく手を振り、船内へと姿を消した。  ふうっと緊張を解いた真理子が座り直すと、琉偉がウェイターを呼んでアイスコーヒーを注文した。 「真理子もなにか飲むか」  真理子はまだ半分ほど残っているアイスティーのグラスを見た。すっかりぬるくなっているそれよりも、もっと気持ちを切り替えられる飲み物がほしい。 「……そうね、なにか冷たいもの。ジンジャーエールを」  注文を終えると、真理子は眉をひそめた。 「あんなことを言って、失礼だとか生意気だとか思われたんじゃない?」 「あんなことって?」 「迷惑料を支払う、てことよ」  真理子の常識から言えば、年下が年上にあんな態度を取るなんて失礼極まりない。けれど琉偉は軽く肩をすくめて、おどけた顔をした。 「彼らに迷惑をかけたのは事実だろう。そのお詫びをするのが、どうして失礼にあたるんだ」 「だって、あきらかに目上の人だし、きっと裕福な人だわ。……それなのに」 「俺には、ふたりのコーヒー代すらも払えないとでも?」 「そうじゃないけど……」 「じゃあ、なんだ」 「……仕事中じゃなかったの」  真理子は声を落とした。この船が自分の常識の範囲で計れるものではないと思い出し、ついでに琉偉も仕事の途中のはずだと気づく。 「仕事中だ」 「それなのに、こんなところで堂々とお茶をしていてもいいわけ?」 「さっきの、ふたりの行為を見とがめられるよりは問題ないさ」  カッと満面を朱に染めた真理子に、琉偉がクックッと喉を鳴らす。 「そ……っ」 「お待たせいたしました」  文句を遮るようにジンジャーエールとアイスコーヒーが運ばれてきて、真理子は口をつぐんだ。ウェイターが去っても、勢いをそがれた文句を言いなおす気分にはなれず、モヤモヤとした気持ちをなだめるために、ジンジャーエールに口をつける。  ニヤついている琉偉を視界の端に捉えつつ、真理子は彼がどういうつもりなのかを考えた。  船旅の間だけの恋人、という立場であるはずなのに、あんな乱暴をするほど嫉妬をしたりするものなのか。――わからない。けれど彼はそうだと言った。琉偉はそういう気質なのか。それとも期間限定の恋を盛り上げようと、こんな演出をしでかしたのか。  演出!  浮かんだ単語に真理子はハッとした。さっき日下はショーを観に行くと去っていった。琉偉を営業マンかなにかだと勝手に思い込んでいたが、役者も立派な船の関係者だ。彼の顔立ちは整っているし、スラリと背が高く姿勢もいい。物腰もやわらかで、低いがよく通る声は胸の奥に響く厚みを持っている。  役者だったとしてもおかしくはないと、真理子はどんどん考えを進めていった。  もしもそうなら、日下さんが琉偉の申し出をあっさり受け入れたのも、納得ができる。舞台を観ていて、琉偉を知っていたのなら……。 「ねえ、琉偉」 「ん?」 「仕事が終わったらランチを……、って話だったけれど、いまは合間の時間なの?」 「どういうことだ」 「ええと、だから……、いまは自由時間なのかってこと」  我ながら遠まわしな表現だなと、真理子は不器用を自覚する。琉偉はちょっと首をかしげて真理子をながめ、言葉の意味をさぐっている。 「それは、このあとも俺と過ごせるのかどうかを確認しているのか。コーヒーを飲んですぐに、俺が席を外すかどうかを気にしている?」 「そうじゃなくって、琉偉の仕事を気にしているの」 「おなじことじゃないか」 「おなじじゃないわ」  わからない、と琉偉が表情で伝えてくる。真理子はハッキリと言っていいものかどうか迷った。もしも役者だったとして、そうと知れたらファンが彼を取り囲み、いっしょに過ごすこともままならなくなるのではないか。  でも、もしもそうなら、とっくにそういう状況になっていても、おかしくないわよね。  真理子はふうむとうなって、下唇を突き出した。 「どうした。むずかしい数式と出くわしたような顔をして」  クスクスと琉偉が声を震わせる。 「こういう状況には慣れていないの。琉偉の仕事がなんなのか、どうして日下さんが失礼だと思わないかを考えてみても、さっぱり答えが見つからなくって居心地が悪いのよ」  勝手に憶測で物事を判断するよりも、素直になって答えを教えてもらおう。  そう結論を出した真理子は、体をまっすぐ琉偉に向けた。 「ねえ、琉偉。――あなたの職業はなに? どうして仕事の途中のはずなのに、ここでお茶をしていられるの」
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