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第6話

   * * *  ちょっと濃いめにルージュを塗って、鏡を確認した真理子は、見慣れぬ自分の顔に向かって鼻の頭にシワを寄せた。 「やっぱり変」  ばっちりメイクをしてみたのだが、ちっともいいとは思えない。厚塗りのアイシャドーもチークも、ピエロみたいでみっともない。もっとスマートに、自然な感じでと試行錯誤してみるも、どうもしっくりこなかった。化粧品コーナーで店員に勧められるままに、メイクをしてもらったときの「こんなの私じゃない感」にそっくりだ。  と、いうことは、自分で思うよりもずっと、いい感じに仕上がっているのかもしれない。でも、このまま外に出ればずっと化粧が気になってしかたがなくなりそうだ。  やっぱり、いつもの化粧でいよう。  手早く顔を洗って普段通りの素肌に近いおとなしめの仕上がりに落ち着いて、時計を確認すれば部屋を出る予定時間を五分ほど過ぎていた。 「早起きしたのに!」  髪をどうこうしている時間はない。  真理子はさっと髪を梳くとカバンを手にして部屋を出た。  スロット・マシンの並ぶフロアに入ると、のんびりとレバーを倒している老夫婦の姿が視界に映った。ほのぼのとした雰囲気に、こういう遊び方が通常のプレイヤーの姿ならば、琉偉の目には昨夜の自分がさぞかし滑稽に見えたことだろうと、真理子は恥ずかしくなった。足早にスロット・マシンの通りを抜けてレストランへと向かった。 「Hello」  店内に入ろうとするとにこやかに挨拶をされ、真理子は片頬がひきつるような笑みを返した。 「あ、ええと……」  待ち合わせをしているって、英語でなんて言うんだっけ。  単位のための最低限な勉強でしか、英語には触れていない。大学では英語の授業なんてなかったから、かなり忘れている。船の手配などは日本の代理店を通じて手続きをしたし、乗船案内なども日本語のできるスタッフが対応をしてくれたので不便は感じなかったが、船の中は基本すべて英語なのだと旅行会社から言われていたと思い出す。  日本語のできるスタッフが大勢いるので、英語ができなくても安心ですよ。  そう聞いていた真理子は、日本語で訪ねていいものかと透けるように白い肌をした、栗色の髪の青年を見上げた。  どうしよう。  まごまごしていると、目の端に席を立つ男の姿が映った。そちらに顔を向けると、立ち上がった男が軽く右手を上げる。  琉偉だ。  ホッとして真理子が手を上げ応じると、店員がジェスチャーで「どうぞ」と促してくれた。  軽く会釈をして、真理子は小走りに琉偉の傍へ行った。 「ごめんなさい、遅くなって」 「あやまる必要はないさ」  琉偉がイスを引いて、真理子に座るよう無言で示す。こんなふうにエスコートされる日がくるなんて、夢にも思わなかった。  いや。  夢想はしていた。洋画を観ながら、素敵な男性とレストランに行って、レディとして扱われる日を夢見ていた。でも、それは平凡でつまらない現実から、かなりかけはなれた空想として楽しんでいただけで、現実にはそんなことありえないと決めつけていた。  それをいま、体験しているなんて! 「真理子?」  腰を下ろさずにいると、問いの響きで名前を呼ばれた。 「なんでもない」  少女のように胸をときめかせつつ、真理子は平静をよそおって腰かけた。 「飲み物を取ってこよう。なにがいい?」 「え――?」  キョトンとして、真理子は周囲を見回した。レストラン中央に大きなテーブルがあり、そこにはいろいろな食べ物が並んでいる。奥の壁際では、シェフの恰好をした人物に、あれこれと注文をつけている人の姿も見えた。  朝食はブッフェ・スタイルなのかと、真理子はあわてて席を立つ。 「どうした」 「あ、その……」  世話をされるっていうのはちょっと、苦手っていうか、落ち着かないなぁ。  けれどここで遠慮をすれば、せっかくの洋画のヒロインみたいな雰囲気がぶち壊しになりそうだ。  一瞬で気持ちをまとめた真理子は、中央のテーブルを指さした。 「どんなものがあるのか見たいから、自分で行くわ」 「ああ、なるほど。――それじゃあ、真理子。いっしょに行こう」  さりげなく肘を出されて、真理子の胸がキュウンと高まった。  エスコートされるなんて、ますます映画のヒロインみたい!  心の中でキャアッと悲鳴をあげつつ、真理子はひかえめな笑みを浮かべた。  興奮を出さないようにするのは、お手の物だ。なんせ女はおとなしくしとやかに、口数すくなくほほえんでいるのがいいと、時代にそぐわない古臭い両親の教えの中で育ってきたのだから。  自己主張しないでおく訓練が、こんなところで役に立つなんて意外だわ。  心臓が爆発しそうにときめきながらも、真理子はさりげなく琉偉の腕に手を添えた。  えっと。たぶん、これでいいのよね。  チラリと琉偉を見上げると、おだやかなほほえみを返されてポウッとなった。  やっぱり、ハンサムだわ。  アルコールが数割増しに見せていたわけではなく、琉偉はすこぶるつきのいい男だ。どうしてそんな人が、という考えは、昨夜さんざん考えた毛色の違ったものをつまみ食いするつもり、という結論に行きつく。  つまみ食い、されようじゃない。  あらためて腹の底で意気込んだ真理子は、料理の並ぶテーブルへと導かれた。 「わぁ、すごい」  真理子の知っているブッフェとは、まったく違っていた。どれもが宝石のように美しく並べられ、輝いている。 「なんでも、好きな物を好きなだけ食べるといい」 「ありがとう」  皿を出された真理子は、美しい細工物のような料理に意識を奪われ、ナチュラルな笑みを彼に向けている自分に気づいていなかった。    * * *  なんて愛らしい笑顔なんだ。  琉偉は軽い感動を覚えつつ、皿を手にウキウキと料理に目を輝かせる真理子の横顔に見惚れた。てらいのない笑顔を女性に向けられたのは、どのくらいぶりだろう。  琉偉はすっかり料理に夢中な真理子を見ながら考える。  日本に来たのは中学2年生の夏だった。両親が離婚して、日本人である母親の実家に連れてこられた琉偉は、帰国子女だとさわがれた。さいわい、いじめられたりはしなかったが、父親譲りの彫りの深い顔だちと青い瞳はとても目立った。思春期を迎えた女生徒たちは未熟な色気を浮かべた瞳で琉偉を見つめた。しかしほかの男子生徒には、性別など意識していない態度を取ることもある。これはいったいどういうことかと、琉偉は不思議に思っていた。  その理由はすぐに、自分の態度がほかの男子とは違っていたからだとわかった。クラスメイトのひとりが、琉偉はお姫様のように女子を扱うと言ったのだ。自分では普段通りにしているつもりが、日本とアメリカの習慣の違いでそう思わせてしまっているらしい。彼女たちの態度は、琉偉の態度を受けてのものだったのだ。  なるべく日本の風習に従った言動をと意識してみるも、身に沁みついたものはなかなか抜けない。高校の途中で開き直り、自分はハーフだから仕方がないと周囲にも納得をさせた。するとますます異性を意識した態度を取る女性が集まるようになり、いつしか恋愛の駆け引きめいた笑みが通常の女性の表情だと、思うともなしに感じるようになっていた。  そんな琉偉にとって、さきほどの真理子の笑みは新鮮だった。なんの作為もない笑みの美しさに、琉偉の心が熱くなる。  だが、待つんだ。彼女にとって、俺の容姿は好みではない、というだけかもしれないぞ。  琉偉は浮かれかけた心に、まったをかけた。人にはそれぞれ好みというものがある。自慢でもなんでもなく、自然と女性が集まってくる琉偉の容姿や態度に食指を動かさない女性は、一定数存在した。そういう女性との関係は嫌われるか、友情をはぐくめるか、ビジネスパートナーとしてやりやすいか、のどれかだった。真理子はそのカテゴリに分類される女性かもしれない。  そういう、琉偉の容姿に惹かれない相手でも、父親の名を聞けば目の色を変える女性がいた。真理子は、そういうタイプだろうか。  琉偉の父は離婚した後、本人いわく「さみしさを紛らわせるため」仕事に没頭し、さまざまな人脈を作った。そうして基礎ができたとき、休暇と商談の両方をおこなうために訪れたラスベガスで、とあるスロット・マシンのジャックポットを引き当て億万長者となった。そこで母に会う口実を作るために旅行会社を立ち上げ、豪華客船を造船してどの国にも属していない、まったく異国の不足なき旅を提供する事業をはじめた。  それは訳ありの富裕層の中で重宝がられ、事業は軌道に乗った。次々に新たな船が造られて、世界各国を巡るツアーが組まれることになった。そして父は念願の「仕事で立ち寄って、偶然に別れた妻子と再会する」という、ドラマチックな演出を人を雇って実現させ――元妻は夫のそういう部分を知りすぎるくらいに知っていたので、驚きはしたものの偶然ではないと瞬時に見破ったが――、大学卒業を控えていた琉偉に、日本向けのプランを任せたいと言ってきたのだった。  就職難の日本で働くよりも、いまや富豪と呼ばれるほどに大きな会社を経営している父の下で働くほうがずっといい。そう判断した琉偉は実力社会のアメリカ気質な会社の中で、社長子息という状況に甘えずに実績を積み重ね、いまでは誰もが認める次期社長という地位を手に入れた。つまり、一般女性からすれば「玉の輿」の相手ということになる。  真理子がもし、俺がこの船のオーナー息子だと知ったら、あの無垢な笑みは打算と駆け引きに満ちたものに変化するのだろうか。  新しいオモチャを前にした子どものように、目をキラキラとさせている真理子を見つめて、琉偉はうんざりとした息を吐いた。  この恋もまた、乗船の間だけの短いものとなるのだろうな。
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