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王太子様と見習い騎士:1

 ファリカは、天龍騎士団の事務所に大量の書類を運び終え、ほっと一息ついた。  龍騎士見習いの粗末な装束に胸を無理やり押し込んでいるせいか、少し息が苦しい。 「今日の雑用はこれで終わりだわ……」  ファリカは武門の長たるターレンス侯爵家の娘として、一通りの武技と、飛龍の乗りこなし方は叩きこまれている。  しかし、生まれつき華奢で非力で、体もあまり丈夫ではないファリカには、騎士としての才能はほとんど無かった。  今回の遠征も『足手まといは不要』と、兄に留守を命じられた。その御蔭で、一人王宮に残って、事務作業やら掃除やらを必死でこなすはめになったのだ。  兄のエルネストはファリカと四つしか違わないが、父が亡くなった今は天龍騎士団の団長として勇名を轟かせている。  自分とは天と地ほどに出来の違う勇猛果敢な兄のことを思い、ファリカはそっと溜息を吐いた。  ――お兄様には恥をかかせないようにしなくちゃ……。  大きな手押し車に手をかけ、ファリカは気合を入れてそれを押す。  左の薬指にはまった虹色の指輪が、きらりと光を放った。  指輪の光に目を留め、ファリカは胸をときめかせる。  ――ミハエル様が、すぐ近くにいらっしゃるわ……!  ファリカは手押し車を懸命に押して倉庫に戻し、大きな露台に駆け寄って、背伸びして空を見上げた。  夕焼け色の空に、巨大な鳥の一群が見える。  陽の光を避けるように手をかざし、ファリカは姿をじっと見つめた。  みるみる近づく影が、ヴァレンシュタイン王国の誇る天龍騎士団の姿を取る。  ファリカは目を輝かせた。  視察に出ていた王太子ミハエルと、その護衛についていた兄たちが戻ってきたのだ。  先頭を飛んでいた一回り大きな漆黒の飛龍が、翼をひろげて飛行速度を落とす。  あの巨大な黒竜は兄の騎龍、ファーレンだ。  後に続く飛竜たちもファーレンに倣い、見事に抑制された挙動で速度を落とした。  飛龍の群れが、ゆっくりと王宮の庭へと下りてゆく。  ――ミハエル様、お兄様……!  ファリカは身を翻して庭へ走った。  庭についた時には、天龍騎士団は、すでに荷降ろしを始めていた。出迎えの人間たちが、龍騎士の手から荷を受け取って何処かへ運んでゆく。  兄の騎龍ファーレンの周りには、見るからに身分の高そうな人々が集まっていた。  おそらくは、ミハエルが兄の龍に同乗しているせいだろう。 「ミハエル様、おかえりなさいませ」 「遠路お疲れ様でございました。休息の用意をしております、さ、こちらに……」  ファリカはミハエルの姿を見ようと、人混みの後ろで背伸びをした。  ちょろちょろと動きまわるファリカに気づいたのか、兄のエルネストが氷のような薄茶色の目でじろりと睨みつけてくる。  振る舞いに気をつけろ。兄の目はそう告げていた。  ファリカは慌てて姿勢を正し、そっと人々の後ろに立つ。 「休息はいらない。それよりも南部で広がり始めている風土病の対策を早く立ててしまいたい」  静かだけれど力強い声が、不意にファリカの耳に届いた。  ――ミハエル様……!  ファリカの目に、エルネストを従えたミハエルの姿が見えた。  銀の髪に空色の瞳が、夕焼けの光を跳ね返してまばゆく輝いている。  痩身をヴァレンシュタイン王国の王太子の装束に包んだミハエルは、その場の誰より堂々としていて美しく、精悍だった。  ミハエルは、歳を重ねるごとに素晴らしい青年になる。何度見てもどきどきして胸が苦しい。  ファリカは締め付け過ぎた見習い服の胸元を緩めながら、じっとミハエルと兄の姿を見送った。 「ファリカ殿!」  天龍騎士団の正騎士に呼ばれ、ぼんやりとしていたファリカは我に返った。 「は、はいっ!」 「荷運びを手伝ってください。倉庫から手押し車を持ってきて頂けますか」 「わ、わかりました! すぐに持ってきます!」  ファリカは飛び上がって、先ほど手押し車を片付けた倉庫に走る。どうやら恋に胸をときめかせてぼんやりしている余裕は、ないらしかった。  ――荷物が多そう。頑張らなきゃ。  ごちゃごちゃと散らかった一角から手押し車を引っ張りだし、自動の昇降機に乗り込んだその時、ふと、若い男の声が聞こえた。 「無事に帰ってきてしまったようだな、目障りな兄上だ」  昇降機に乗り込み扉を閉め終えていたファリカは、びくりと肩を波打たせた。  扉の隙間に顔を押し付けると、キラキラと煌く銀色の髪が目の端に映る。  ミハエルとよく似ているが、彼よりもやや低い背に、少しがっしりとした体つきをした若者の姿が見える。  そこにいたのはミハエルの弟、第二王子のアーシェン殿下だった。 「ターレンスの雑魚めが、最近重用されているのも面白くございませんな」  アーシェン殿下の取り巻きらしい若い男が、甲高い声で同意するのが聞こえる。  ファリカは音を立てないようにじっと息を殺し、ミハエルと兄への物騒な暴言を続ける一団を見守った。 「飛龍などアーシェン殿下の魔法で撃ち落としてやればよろしいのに。ろくに魔法も使えぬエルネストなど、そのまま地面にたたきつけられて死ぬでしょうよ」 「どうせあの雑魚の騎龍にはミハエル様も乗っているんだ、一挙両得じゃないですか?」  王子を囲む一団がどっと笑う。 「まあ……止せ」  蚊の鳴くような声で、アーシェン殿下が取り巻きを制止するのが聞こえた。国民を平等に扱うべき王族としては、ありえない弱腰な態度だ。  ――アーシェン様は、ミハエル様とは大違いだわ!  ファリカはぎゅっと唇を噛み締めて、その一団の姿が見えなくなるのを待った。  ヴァレンシュタイン王国は、王家の人々を筆頭に、強大な魔力を持った人間たちを多数擁する国家である。  しかし当然ながら、魔力を持たない人間もこの国には多く暮らしている。  兄はいつも言う。武家貴族であるターレンス家は、魔力を持たない人間の代表を務めねばならないのだ、と。  たとえどれほど侮辱されても、挑発に乗り無様を晒すような真似だけはしてはならない、と。  公衆の面前で何を言われようともいつも超然と受け流している、兄の怜悧な表情がファリカの脳裏に浮かんだ。  ――相手にしちゃダメ……。  深呼吸をし、ファリカは階下へ降りるスイッチを押した。  憤りで手が震えていたが、手をぎゅっと握って怒りを飲み込む。  ――私たちは魔力を持たない人たちの代表なのよ。余計な争いは生んじゃダメ。いつも冷静に、お兄様のように受け流すのよ……。  昇降機の扉が開く。ファリカは笑顔を浮かべ直し、手押し車を力いっぱいに押した。  天龍騎士団の所持していた武器の手入れや、地方からの奉納品の整理を終え、ファリカはよたよたと王宮の一角にある天龍騎士団長の居室へ向かっていた。  一応、兄にお帰りなさいを言いたかったのだ。  兄の部屋からは光が漏れている。ファリカは胸を弾ませ、兄の部屋の扉を叩いた。 「お兄さま、ファリカです!」 「入れ」  誰に対しても淡々とした姿勢を崩さない兄の声が、静かに返ってくる。 「お兄さま、おかえりなさいませ!」  笑顔で部屋に飛び込んだファリカは、こちらを向いて微笑んでいる人物を見つけて、思わず足を止めた。 「ファリカ、ただいま」  兄と話し込んでいたらしいミハエルが、穏やかな声でファリカに言った。 「あ、み、ミハエル様……失礼いたしました。おかえりなさいませ……」  まさか、王太子その人がこの部屋にいるとは思わなかった。  空色の美しい瞳にじっと見つめられ、ファリカは思わずうつむく。 「ではミハエル様、支援物資の運搬の件は明日の朝の会議で決議し、正午までにご報告に上がります」  ミハエルは兄の言葉にうなずき、椅子から立ち上がった。 「頼んだ。疫病の封じ込めは動きが早ければ早いほどいい。王都からの支援を急ごう」  言いながらミハエルが歩み寄ってきて、そっとファリカの肩を抱く。馴染んだ愛しい人の温もりに、ファリカの体の芯が微かな熱を帯びた。 「ではエルネスト、今日はお前も早く休め。いい夢を」  ミハエルを送り出すために立ち上がった兄が、深々と頭を下げて低い声で応じる。 「おやすみなさいませ、ミハエル様」  息を呑んだファリカと、兄の目が合う。  何の感情もない、静かな眼差しだった。  兄は、夜遅くにミハエルがファリカの肩を抱いて連れだそうとすることに対して、何も言わなかった。  いつもそうだ。  ファリカがミハエルとどんな関係なのか知っているのに、兄は何も言わない。  静かな無表情の下で兄が何を考えているのか、ファリカには分からなかった。  大きな手でしっかりと肩を抱かれたまま、ファリカは暗い廊下をミハエルに連れられて歩いた。 「あ、あの、ミハエル様……おつかれでしょうか?」 「疲れたに決まっている」  クス、と喉を鳴らして笑い、ミハエルがぎゅっとファリカの体を抱き寄せた。 「だがそれ以上に、可愛いお前が僕の留守中に何をしていたかが気にかかる」  ミハエルの艶のある声が、不意に甘い熱を帯びた。  小さく息を呑んだファリカのはちみつ色の髪を撫で、ミハエルが優しく囁きかける。 「休む前に、お前のことを色々と確かめさせてもらおう」
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