21 / 40

第21話 四章 2

 上条家との見合い話を持ち込んだのは和明だった。  和明はなんとしてでも亜紀と結婚するために、森崎の父親に見合い話を持ち込ませたのだが、ここで予期せぬことが起きた。父親が見合い話に難色を示し始めたのである。  堺家はもともとは小さな造船業から身を興している。  朝鮮特需で財を成し、それを元手に和明の祖父が造船業を主体とする会社を立ち上げ、以降順調に発展を遂げて現在に至っている。  巷(ちまた)では「成り上がり」と揶揄されることが多かったが、堅実な手腕を振るう和明の父親の才覚と実直な人柄が功を奏したのか、そのような声はもう聞くこともなくなった。  だが、結局は成り上がりである。些細なことで名家と称される家と比べられることが多い。それをどうにかしたかった和明の祖父は、名家と姻戚関係を結ぶことで家格を上げてきた。現に和明の義母の実家は、名家と呼ばれる家だった。  結婚前の子供とはいえ、和明は堺家の長男だ。だから本来は家を継ぐ立場にあるのだが、義母が生んだ弟が家を継ぐことが決まっている。だから和明に婿養子の話が来たことを渋るものは誰一人としていなかった。しかも、上条家という名家からの話だ。むしろ喜ぶものが多かった。  しかし、和明の父親だけは、ずっとこの話を進めようとしなかった。それは弟・和成を堺家の跡取りとして決めているものの、不安を抱えていたからだ。弟の優しい性格が経営者としてマイナスの要因になりかねないと、父親が危惧していることを、和明は森崎の父親から聞かされている。  だが、そんなことなど知ったことではない。和明が第一に考えているものは堺家ではなく亜紀だ。彼女を自由にしてやりたくて、長い時間を掛けて周到に準備を進めてきたのだから。  だから和明は、父親が見合い話を受けざるを得ない状況を作り上げた。そして、その甲斐あってようやく婚約までたどり着いたのだった。  堺家からの結納返しを仲立ちの使者に託したあと、彼らは上条家へ戻っていった。  彼ら見送ったあと、和明は一人和室へと戻る。  床の間には上条家からの結納の品々が整然と並べられていた。それらを眺めていると、白い箱に目が留まり、和明はそれを手に取った。  蓋を開いてみると、中には腕時計が入っていた。湾曲した樽型の文字盤、上質な黒革のベルト。フランスが誇る最高級ブランドの時計は、「遺産」を意味する言葉が冠されたコレクションのものだった。亜紀がこれを選んだとは考えにくい。  恐らく彼女の両親が選んだものだろう。そしてこれと揃いのものを彼女も持っているに違いない。二人でこれから同じ時間を歩もうという意味を持つものとして、結納の品に選ぶ人も多いというし。時計を眺めたあと、腕に付けてみるとずっしりとした重みがあった。和明は時計を眺めながら苦笑する。 「二人で同じ時間を歩む。か……」  亜紀と一緒に入れる時間はせいぜい二年だろう。叶うことならばずっと彼女の側にいたいと思うが、それはできない。和明は、寂しげな笑みを浮かべた。  昔交わした約束を果たしに来たと言って迎えに行ってやりたかった。しかし、亜紀を取り巻く状況を知れば知るほど、和明はそれが最善とは思えなくなっていた。  今の亜紀には自由がない。家に縛られている上に、彼女の祖父母にも縛られている。それらを全て取り払わなければ、真の意味で幸せだとは思えない。  もしもあのまま長じていたなら、亜紀はあのような女にはなっていなかっただろう。両親からの愛情を一身に受けて、すくすくと育っていたに違いない。  それなのにあれはなんだ。感情がない人形のようになっているではないか。和明は、見合いの席で再会した亜紀の姿を思い返し、表情を曇らせる。そしてしばらく時計を眺めたあと、和明は部屋に面している庭へ目を向けた。  庭に目をやると、初夏の日差しに照らされた草木が見えた。それらは皆、職人の手によってきれいに整えられているが、美しいとは思えない。和明は別邸の庭を思い返す。  春になれば桜が美しく咲き誇り、夏になれば清らかな夏椿の花弁が浜風に揺れていた。秋になれば燃えるような赤い紅葉が地面を覆い、冬になれば山茶花(さざんか)が柔らかな日差しに照らされていた。  和明は目を閉じた。そうすれば、いつだってその頃を思い出せる。初めて亜紀と顔を合わせたときのことや、森崎と亜紀が笑い合う姿も。母親とともに過ごした思い出もかけがえのないものではあったが、その比ではない。  母の死後、孤独に陥った和明にとって、亜紀は光だった。幼い彼女が笑えば、暗闇だった世界が色づき、幸せな気分にさせられた。和明は、その頃の記憶を思い返しながら、夏の庭を眺めていた。 『クッキー焼いたから、一緒に食べましょう』  母親が亡くなって一年が過ぎたある日の午後のことだった。  和明が幼い茜に庭先で本を読み聞かせていると、突然声を掛けられた。声がした方へ目を向けると、隣の庭に女性が立っている。  ちょうど半年前に隣人になったばかりの女性から声を掛けられて、中学生だった和明は戸惑ったものだった。それというのは、急に声を掛けられたからではない。  別邸には少ないけれど数人の使用人たちがいた。彼らは和明親子をまるで腫れ物にでも触るように扱いながらも、その陰では口さがないことばかり口にする。そういったものを見続けていたせいもあり、和明は母親以外の人間に心を許さなかった。しかし、母親が自ら命を絶ってしまい、和明は一人になった。  それまで誰もいなかった隣家に一組の夫婦と生まれたばかりの子供が住み始めたのは、その直後のことだった。時折目にする彼らの姿は、幸せそのもののように見えた。そして、いつの間にか和明は、家族団らんしている姿に憧れを抱くようになっていた。それは、自分が得られなかったものをそこに見た気がしたからだった。  そんなときに、憧れを抱いていた家族の一人から誘われたのだ。それに、赤の他人から他意なく手を差し伸べられて、和明は戸惑ってしまったのだ。和明が何も答えないままでいると、様子を窺っていた森崎はなんのためらいもなく誘いに応じた。それがきっかけとなり、和明は隣家に住んでいる親子と関わるようになったのだ。  彼らは、使用人たちと違って他意がない。そんな彼らとともに過ごしているうちに、和明は孤独を感じなくなっていた。他人とはいえ家族という輪の中に入れたことで、子供らしくいられたのである。  和明を受け入れたその夫婦は、亜紀の両親だ。  そして、彼らとともに伊豆へやってきた娘こそ亜紀である。  仲立ちを務めている夫婦が結納返しの受け書を携え堺家に来たのは、昼過ぎのことだった。予定ではこの後、仲立ちを伴い料亭へ向かうことになっている。  和明は仲立ちと親しげに話している父親を見た。料亭へ向かうにはまだ早いということで、和室で談笑しているのである。和明は、適当に相づちを打ちながら、二人の話を聞いていた。  父親が政界入りを狙っていたという話は、森崎の父親から聞かされた。亜紀との見合いに難色を示す父親の重い腰をなんとか上げさせたくて、いろいろ調べていたときのことである。だから母親を切り捨てて義母と結婚した事実も、そのとき教えられた。  義母の実家は、政治家を数多く輩出している家である。しかし、期待していたものが得られなかったから、父親は政界入りを断念し堺重工の社長として生きてきた。  もともと真面目で実直な男だ。それが結果に繋がって、堺重工を今では一流企業のひとつと賞されるところまで引き上げた。しかし、当人はそこで満足していなかったらしい。若かりし頃の夢に思いを馳せることが多かったようだから。だから和明はそこを突いて、亜紀との見合い話を進めさせたのだ。それまでのことを振り返りながら父親達の話を聞いていると、森崎の父親が部屋にやってきた。 「お車の御用意が出来ました」 「そうか、分かった。それでは森辻先生、参りましょうか」  父親が仲介の男に笑みを向けると、その男は顔をほころばせた。 「「くるす」だそうですな、新橋の」 「ええ。楽しんでいただけると思います」 「料理も楽しみだが、またあの女将に会えるとは。お恥ずかしい話、引退してからはとんと遠ざかっていたもので……」  元政治家は嬉しそうな顔をした。新橋の料亭くるすは、政界財界問わず人気がある。料亭だから料理がうまいのは当たり前だが、それよりも女将の人柄にほれ込んで通うものが多いらしい。大層剛気で気っ風が良いともっぱらの評判である。  今日は結納のあとの宴席だから呼んではいないが、その元政治家が懇意にしていた芸者を呼べば良かったと和明は意地の悪いことを考えながら話を聞いていた。妻同伴の席でどんな顔をするのかと思ったからである。  芸者衆はいわば情報源だ。いつ誰がどの店で会っていたのか知ることができる数少ない人間だ。政治の世界は先んじて情報を得たものが勝ち上がる世界でもある。和明はそれを知っていた。 「では、参りましょうか。奥様もきっと楽しんでいただけると思います。あそこの料理は舌だけでなく目も楽しめる料理だと聞いていますから」  和明は笑みを作って、元政治家の妻に声を掛けた。 「まあ、そうなの?」 「ええ。本音を言えば芸者衆も呼びたかったんですが……」  そう言って、和明はちらりと元政治家を見た。平然とした顔ではあるけれど、こちらの会話を気にしているように見える。 「お祝いの席ですもの。呼んでくださればいいのに……」 「もしも御希望ならば、また改めて席を御用意させていただきますよ」  仲介役の妻はひどく残念そうにしている。和明は苦笑しながらその妻とともに玄関へと向かったのだった。  和明たちが料亭に着いたとき、まだ上条家の人間は来ていなかった。  立派な門を通り抜け、ぼんやりと淡い光を放つ行灯が照らす敷石を進んだ先に建物が見えた。玄関の格子戸を開くと名物女将が出迎えてくれた。  その後、案内された部屋で待っていると、上条家の人間たちがやってきた。父親母親に続いて部屋に入った亜紀の姿を見て、和明は思わず目を見張る。しかしすぐにその目を細め、彼女の姿を見続けた。  亜紀が身につけていた振り袖は、和明自ら選んだものだった。着物だけではない。帯や帯揚げ、紐にいたるまで吟味したものばかりだ。それらを身につけた亜紀の姿は、とても美しい。  特に時間を掛けて選んだのは帯留めだ。黒い帯に飾られたサファイアの帯留めは、最後まで悩んだ品物だった。本当ならば亜紀の誕生石であるアクアマリンの帯締めを贈りたかった。しかし、アクアマリンのものは上品さはあれど、華やかさに欠けるものばかりだった。だから、サファイアのものを贈ったのだが、結果的にはこれで良かったのだと思わずにいられない。水色の着物に濃い青色が映えている。 (今思えば、翡翠も良かったな)  亜紀の姿を眺めながら、和明はそうも思った。アクアマリンのことしか頭になく、仕方なく青い宝石を探したとき、たまたまめにしたのがサファイアだっただけだった。  しかし青い石はサファイアだけではない。森崎から教えられ買い求めたプラナカンの陶器に用いられている水色の翡翠もあったではないか。それを思い出し、和明は苦笑する。  森崎がプラナカンの陶器を買い求めたのは、その色を見て亜紀を思い出したからだという。彼女の誕生石がアクアマリンだからだ。しかし、それは透明感のある水色の宝石、青と緑が混じった翡翠色とは異なる色合いだ。そうは思っても、プラナカンの雑貨を懐かしそうに眺める森崎の姿を見続けているうちに、その影響を受けてしまったようだった。その色を見るたび、和明は亜紀を思い出すようになっていたのだから。  和明の目の前で、振り袖姿の亜紀が両親たちに続いて席に着く。その姿を和明は熱っぽい目で見つめていたのだった。
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!