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第20話 四章 1

 土曜日の午前中に結納は行われた。  古式に則(のっと)った結納は、上条家から堺家へ結納の品を届けることから始まる。  上条家の応接室にある床の間には、縁起のいい松竹梅と鶴亀が描かれた掛け軸が飾られていた。その下には、夫婦和合と長寿の象徴である共白髪(ともしらが)の翁(おうな)と嫗(おきな)の人形と、松竹梅の鉢植えが置かれている。そして部屋の中央には、華やかな水引で飾られた結納の品々が並べられていた。  その水引は金沢にある老舗にわざわざ頼んで作ってもらったものだった。細かな細工で作られた鶴や亀、そして松竹梅は見事としか言いようがない。豪華な水引で飾られた品々は、黒塗りの台と広盆に分けて乗せられていて、その両脇には朱塗りの角樽(つのだる)が並べられている。結納の品々を前に、亜紀は両親に挟まれて座していた。  亜紀が身に着けているのは、堺家から贈られた水色の振り袖だった。落ち着いた水色の地色に四季の草花が淡い色合いで描かれている。その両隣には黒の紋付き姿の父親と黒留め袖姿の母親が座っていた。三人の後ろには亜紀の祖父母と叔父夫婦、そしていとこである剛毅がいる。上条家の面々の向かいには、結納の仲立ちを務める老夫婦が座していた。  仲立ちを務めるのは、上条家とゆかりのある人間だった。かつては大臣を務めた元官僚である。彼は見合いには直接関わっていないのだが、いずれ和明の父親が政界に打って出る際、その後ろ盾になる男であった。それで仲立ちを務めたということは、上条家では周知の事実だった。 「このたびは亜紀さまと和明さまの御縁がまとまり、誠におめでとうございます。本日はお日柄もよろしいので御結納の仲立ちをさせていただきます」  仲立ちを務める紋付き姿の男が恭しく頭を下げた。隣にいる年配の妻もそれに倣って頭を下げる。亜紀は目の前で口上を述べる老夫婦にゆっくり頭を下げた。両脇に控えている両親も、同じように頭を下げる。 「それにしてもお美しいですな」  頭を上げると、仲立ちの男から満面の笑みを向けられていた。亜紀は心の中で閉口しながらも、愛想笑いで返す。 「和明さんも随分な男前だと伺っております。お似合いの鸞鳳(らんほう)になられるでしょうな。いやはや、羨ましい」  鸞鳳(らんほう)とは、固く契った夫婦の例えとして用いられている言葉である。和明との結婚がどのようなものであるか分かっているというのに、見え空いた言葉で持ち上げられることが嫌だった。  だが、それを表に出すことはさすがに憚(はばか)れる。亜紀は仲立ちの男に返事をせずに、うっすらとした笑みを向けた。すると、隣にいた父親が手をついて、わずかに頭を下げる。 「こちらは堺家への結納の品でございます。先様へお届けくださいますようお願い致します」  そう言った後、父親は改めて深々と頭を下げた。それに習い、亜紀も母親とともに頭を下げる。 「かしこまりました。お世話させていただきます」  誇らしげな笑みを湛(たた)えて、仲立ちの夫婦は頭を下げた。  形式張った儀式が終わると、叔父夫婦と剛毅が結納の品々を箱に詰め始めた。  それを堺家へ届けたあと、受書とともに結納返しの品々を受け取ったら結納は終わることになっている。しかしその後、仲立ちを囲んで両家で宴席を設けることになっていた。  亜紀は、目の前にいる剛毅に声を掛けた。だが、剛毅からの返事はない。ふて腐れた顔で、黙々と結納の品を箱に詰めている。その顔は幼い頃とちっとも変わっていなかった。亜紀は、苦笑する。 「何よその顔。子供みたい」 「うるさいよ。お前こそなんだよ、それ。いかにも馬子にも衣装だな」 「失礼ね……」  軽口を言いあっていると、皆がぞろぞろと部屋を出ていった。和室に従兄弟と二人きりになり、ようやく人心地着くことができたけれど、気分は晴れない。亜紀は物憂げな表情で、ため息を漏らした。すると、視線を感じそれをたどると、剛毅からじっと見つめられていた。 「どうしたの、剛毅」 「どうしたって?」  剛毅は、真顔になっていた。何が気に入らないのかなど、わざわざ聞かずとも分かる。  不満を隠そうともしない従兄弟に、亜紀は笑みを向けた。 「なんでふて腐れているのよ。お祝いの席なのに」  剛毅は顔をそらし、黙々と作業をし始めた。その姿を眺めていると、急に従兄弟が手を止めた。 「どうしても無理だと思ったら、俺を頼れよ」 「えっ?」  亜紀が目を大きくさせて聞き返すと、剛毅から思い詰めたような顔を向けられた。まっすぐ向けられた瞳が、何かを訴えているように感じられたが、亜紀はそれに気付かないふりをした。 「心配しないで。もし、どうしても眠れないならクリニックに行くから」  すると、剛毅が吐き出すように話す。 「そういうことじゃなくて」 「え?」 「……和明(あいつ)がどうしても嫌なら、我慢ができなくなるほどつらくなったら、俺のところに逃げてこい」  思いがけない言葉を聞かされて、亜紀は驚いた。急にいづらくなって、今いる場所から離れようと立ち上がったそのとき。腕を掴まれ、強引に振り向かされた。目の前では剛毅が切羽詰まったような顔をしている。 「俺は本気だ、亜紀」 「冗談はやめて。第一いとこ同士よ私たち」 「いとこ同士だって結婚はできる。俺はずっと亜紀のことが好きだったし、今でも好きだ」 「それはずっと一番近くにいたからよ。肉親に抱く感情と恋愛感情をごちゃまぜにしてるだけ」  亜紀がはっきりとした口調で言い切ると、剛毅の表情がみるみるうちに沈んだものに変わっていった。腕を掴んでいる手の力が、徐々に弱いものになっていく。  幼い頃から一緒にいてくれた従兄弟の存在は、亜紀にとって救いだった。亜紀が祖父母にきつく叱られていると、剛毅は必ず大きないたずらを仕掛けたものだった。結果、祖父母はそちらに気を取られしまい、剛毅をこっぴどく叱りつけるのだ。  亜紀がそれに気付いたのは、かなり早い時期だった。そんなことをしないでほしいと従兄弟に訴えたこともある。しかし、剛毅はやめようとしなかった。  小学校から大学まで共に過ごした日々は、亜紀にとって宝物だ。しかし、剛毅は従兄弟だ。それ以外の存在として考えたことなど一度もない。  それに今は和明を思っている。たとえ自分のことを愛してくれずとも、彼の妻として側にいたいと亜紀は思うようになっていた。だが、それを剛毅は知るはずもないし、亜紀もわざわざ話すつもりはない。しかし、それを告げない限り、剛毅は納得してくれない気がした。亜紀は意を決し口を開く。 「愛してるの、彼を」 「嘘だ」 「本当よ」 「まだ見合いからそんなに時間は経っていないし、一緒に過ごした時間だって短いはずだ。それなのに―― 「時間なんか関係ないわ」  話を遮るようにきっぱりと告げると、剛毅はうな垂れた。掴んでいた手が徐々に離れていく。しばらく二人で向かい合ったままそうしていると、部屋の外から叔父の声がした。そろそろ、堺家へ出立するらしく、剛毅を呼んでいる。  すると剛毅は、顔を俯かせたまま亜紀の前から去っていった。  その後ろ姿を見送ったあと、床の間に飾られた品々を眺めながら、亜紀はため息をついたのだった。  和明は黒の三つ揃えのスーツに身を包み、床の間に飾られている品々を眺めていた。  それらは皆、上条家へ贈る結納返しの品である。  豪華な水引で飾られた品々と、朱塗りの角樽。床の間を飾っているのは、縁起物の絵だ。それらを一つ一つ眺めたあと、目録に添えられている黒い小さな箱に目を向けた。その箱の中には、亜紀へ贈る婚約指輪が入っている。  できることなら、亜紀が好みそうなものを買い求めたかった。しかし、なかなか時間が取れず、宝石店にカタログを頼もうとしたら、森崎が口を挟んできたのだった。 『社長。亜紀さまにお贈りする婚約指輪選びを適当にされるおつもりですか。男の風上にも置けませんよ、そんなんじゃ』  そのときのことを思い出し、和明は思わず苦笑する。その後、森崎は女性向けの結婚情報誌を買いあさり、女性が贈られて一番喜ぶであろう指輪の写真を和明に突きつけた。これなら多分喜ぶと。多分という言葉が引っかかったが、森崎の迫力に押されてしまい、その指輪を買い求めたのだった。  森崎にとって、亜紀は妹のような存在だった。生まれたばかりの亜紀を抱っこしながら、嬉しそうしていた姿が蘇ってきた。すると、伊豆で過ごした日々の思い出が次々と蘇ってくる。その一つ一つを振り返っていると、部屋の外から声がした。 「和史さま、和明さま。仲立ちの方と上条家の方々がお越しになりました」  すると、それまで隣で黙り込んでいた父親が、重い口を開いた。 「森崎。リビングにいる郁子と和成をこっちに連れて来い。そのあと、御使者をこちらに通せ」 「かしこまりました。そのようにいたします」  障子の向こうにいたのは、森崎茜の父親だ。彼は和明の父の秘書を長年勤めている。そして、伊豆で和明親子の世話をし続けた男だった。  和明は堺家当主である父親とその妻との間に生まれた子供ではない。父親が結婚前に付き合っていた女性との間に生まれた子供である。そのことを和明が知ったのは、隠れるように住んでいた伊豆の別宅にいたときだった。  和明は、生まれたときからそこで母親とともに暮らしていた。しかし、その母親は、彼が小学校を卒業する頃、自ら命を絶っている。和明が自らの出自を聞いてしまったのは、母親の通夜の席だった。  十二才の和明は、自分の生い立ちを知ったあと、あることに気がついた。それは、母親が毎日空ばかり眺めていた理由だ。  物静かな母親は、気がつくと空ばかり眺めていた。しかも、決まった方角だ。それは、父親を待っていたからに違いない。いつ来るともしれぬ相手を、母親はずっと信じて待っていたのだろう。  だが、和明の記憶では、母親が生きている間に、伊豆の別宅に父親が来たことはない。父親の姿を初めて見たのは、母親の弔いの席だった。  その一年後、伊豆の別宅の隣にあった洋館に、一組の夫婦と生まれたばかりの娘がやって来た。それが亜紀と彼女の両親である。  母親を亡くしたあと、和明は森崎親子と伊豆で暮らしていた。森崎親子は、母親が生きていた頃から住み込みで和明たちの面倒を見ていたのである。  和明が過去を振り返っていると、弟・和成と義理の母親がそろそろとやって来た。そして、それぞれの席に腰を下ろした。和明は上条家からの使者を出迎えるべく居住まいを正す。すると間もなく、部屋の外から足音がした。 「上条家からの御使者様方をお通しいたします」  森崎の父親の声が障子の向こう側から聞こえてきた。和明は、膝の上に置いた拳を強く握り締め、そのときを待っていた。
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