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第15話 三章 2

「はい、あーん」  亜紀はあきれた顔で、従兄弟の顔をじっと見た。  従兄弟(いとこ)・剛毅(ごうき)は内科の医師だ。叔母によく似た柔和な顔立ちだが、今は真面目な顔をしているため、いつもりやや精悍な顔つきになっている。  その従兄弟から子供扱いされたことが気に入らず、亜紀は冷ややかな目を向けていた。しかし、その従兄弟は特に気にもせず真剣な目を彼女に向けている。 「こら、口開けよ。はい、あーん」 「ねえ、それ必要なの?」 「診察させないと薬ださねーぞ。昔はよくやったじゃないか、お医者さんごっこ」  剛毅はふてくされたような顔で、亜紀をじろりと睨みつけた。そして座っていた椅子をくるりと回し体の向きを変えたあと、神妙な顔で机の上に上がっている書類に手を伸ばす。その姿を亜紀は呆れた顔で見る。  剛毅は叔父の一人息子で、その叔父が院長を務めている上条クリニックで働いている。誰にでも分け隔てなく接する従兄弟は、患者の受けがとても良い。もともと明るく朗らかな性格で、面倒みがいいこともその理由だろうと亜紀は思う。  だが、一部の人間以外には、軽薄な男に思われがちだ。それは、粗野な言動が目立つからなのだが、患者には親切丁寧に接している。  緑色のスクラブを着込み、首から聴診器を下げている姿は紛れもなく医師そのものだ。しかし、亜紀の目には幼い頃の姿が重なって見えていた。ワンパクで祖父母を困らせてばかりだったけれど、自分にはとても優しかった男の子。しかし、やっぱり子供扱いされたのが気に入らない。亜紀は冷めた目でにらみ付ける。 「お医者さんごっこするつもりで来たわけじゃないわ」  にらみ付けると、剛毅はため息を吐いた。面倒くさげに体の向きを変えたかと思うと、じっと見つめられ、亜紀は目に力をこめる。 「それで。寝られないのは結婚が原因か?」 「え?」 「親父から聞いたよ。一週間後に結納だって」  亜紀が見つめる中、剛毅がぶっきらぼうに告げた。何が気に入らないのか拗ねたような顔をしている。その理由を探しているとあることに気がついた。  そういえば、今回のことを従兄弟に直接話していない。目の前にいる従兄弟は、それを自分から聞かされていないことが面白くないのだろう。それに気付き、亜紀は苦笑した。 「そういえば、ちゃんと話していなかったわね。私、結婚す―― 「だから。もうとっくの昔に親父から聞いたってば」 「でも……」 「どうせ、そいつといずれ顔を合わせることになるんだ。親戚としてな。だからもういい」  拗ねたかと思ったら、急に不機嫌そうになった。剛毅は再び机に向かって書類を見始める。  剛毅は、この結婚が家同士のつながりの為のものだと分かっているのだろう。そして自分に求められているものがなんであるかもだ。だから、それらをわざわざ言葉にさせまいとしているように思えてならなかった。  振り返れば、剛毅は昔から優しかった。自分が祖父母にきつく叱られているとき、彼は大きな悪戯をしてそちらに気を逸らさせていたことを亜紀は知っている。それに、折に触れ気にかけてくれることも分かっていた。だが、それが従姉妹への親愛以上のものであることに亜紀は気づいていない。  診察室の大きな窓からは、初夏を思わせる眩しい日差しが差し込んでいる。亜紀は書類を眺め始めた剛毅の向こうに目をやった。窓から見える街路樹の枝葉が、風に揺れて揺れている。幼い頃の記憶を振り返りながら、亜紀はそれを眺めていた。 「それで、どうする?」 「え?」  亜紀が聞き返すと、剛毅はくるりと体の向きを変えた。再び向かい合ったあと、亜紀は剛毅をじっと見る。 「薬だよ。向こうじゃなくこっちに来たってことは、誰にも知られたくないからだろ?」  剛毅の問いかけに亜紀は答えなかった。しばらく見つめ合ったあと、剛毅が憂鬱そうにため息をつく。 「睡眠薬は出さん。その代わり、気持ちを落ち着かせる漢方薬を処方しとくから、それ飲んで様子を見ろ。ぬるま湯に溶かして飲めばリラックスできる。それなら自然に眠れるようになるだろうし、寝ている間に起こされてもちゃんと目が覚めるから」 「ありがとう、助かるわ」  こちらを見ようとせずに、剛毅が淡々と説明する。それを眺めながら、亜紀は口元に笑みを漏らす。  亜紀はもともと寝つきが良い方ではない。それでも、ベッドに入ってしばらくすれば眠っているのに、近頃は眠れない夜を過ごしてた。彼女が眠れない理由、それはベッドに入って瞼を閉じると、あの日見た光景が浮かんでくるからだった。  眠りを妨げるように浮かんでくるのは、和明が森崎を抱き締めている姿だ。和明はすぐに否定したけれど、不安は募る一方だった。そこに森崎から掛けられた言葉が気になって、眠れぬ夜を過ごしていたのだ。  そんな夜が続くと、仕事に差し障りが出てくるようになる。それを過去に身を以(もっ)て知っているため、亜紀は貴重な休みを利用して、上条クリニックに来ていたのだ。亜紀が慢性的な不眠を抱えていることを、剛毅は知っているから。亜紀が礼を述べると、剛毅の表情がみるみるうちに曇ってきた。それに気付いて、亜紀が声を掛けようとしたそのとき。 「相手の男、どんなやつだ?」  唐突に尋ねられ亜紀が返事に困っていると、剛毅がため息を吐きながら、体を向けてきた。 「仕方がないって諦めてるんじゃねえよ。息苦しいなら出ちまえばいいんだ、あんな家。そうすりゃ…… 「だって、それが私の役目だもの」  亜紀は無理してほほ笑んだ。和明と結婚し、彼との間に上条家の跡取りを設けることが求められている役目だ。それを幼い頃から散々言い聞かせられてきた。剛毅だって、それを知らないわけではないし、こう言えば詮索しないはずだ。亜紀は自分自身に言い聞かせる。だが、剛毅は納得してないようだった。顔を険しくさせている。 「お前、いつまでそうして強がっているんだよ。俺にくらい本音を言えって昔から言ってるだろ?」  剛毅からいら立たしげに問われたが、亜紀は口を閉ざす。返事もせず見つめていると、従兄弟がバツが悪そうに顔をそらした。気まずい空気が二人の間に流れ始め、亜紀はいたたまれない気分になった。場の空気を変えようとして、亜紀は話をそらす。 「そういえば、叔父さまが愚痴をこぼしていたわ。いつになったら、アホ息子は身を固めてくれるんだろうって」  すると剛毅は黙り込んだまま、返事をしようとしなかった。だが、しばらく経ってからぼそぼそと話し始めた。 「俺は多分結婚しない」 「え?」  聞き返すと、ずる賢い笑みを向けられた。 「だってさ、俺こう見えても結構モテるから。一人になんか、決められないよ」  剛毅が軽薄そうな言動をするときは、大抵が本心を隠しているときだ。それを知っているだけに、亜紀は苦笑するしかできなかった。  上条クリニックから戻ると、玄関先に赤い車が停まっていた。  深みのある赤が印象的なハッチバックのコンパクトカー。その形といい色といい、どこかで目にした車だった。  しかし、すぐに思い出せなかった。記憶をたぐり寄せながら玄関の扉を開くと、玄関の中に森崎がいて、亜紀は驚いた。 「あら、ちょうど良かった」  母親の声がして、亜紀は顔をはっとさせた。森崎から申し訳なさそうな顔を向けられている。母親は困ったような顔をしていた。 「あなたが来る少し前にいらしたの。お茶でも飲んで待っていただこうかと思っていたら……」 「亜紀さま。早く来てしまい、申し訳ございません」  昼過ぎに迎えに来る予定なのに、早く来てしまったようだった。といっても、あと数分で正午だ。亜紀は気を取り直して、森崎に中に入るよう促した。 「もしよかったら、昼食を食べていきませんか? ねえ、お母さま」 「ええ、そうね。森崎さん、どうぞお入りになって」  亜紀だけでなく彼女の母親からも誘われて、森崎は困ったような顔をした。しかし、根負けしてしまい、三人で昼食をとったのだった。、 「では、こちらにどうぞ」  森崎から助手席のドアを開けられて、亜紀は席に乗り込んだ。するとそのとき、あることに気が付いてしまう。それは、車から漂う香りが、和明の車の香りと同じことだった。  それに、この車をどこで目にしたのかまで思い出した。和明が住んでいるマンションの駐車場だ。しかも、和明の車の真横に停まっていたはずだ。  もしかしたら、森崎は和明と同じマンションに住んでいるのかもしれない。だから、あの短い時間であれほどまで用意できたのだろう。  あの日、森崎が用意したものは下着や洋服だけではなかった。スキンケアやメイクセットがそれぞれ別のポーチに入れられていた。しかも、すべて未使用のものだった。そのときのことを思い返していると、運転席に乗り込んだ森崎から声を掛けられた。 「亜紀さま。それでは出発しますね」 「ええ。ところで、これからどこへ向かうの?」  森崎の服装がジーンズに白いサマーセーターという軽装だから、畏まった場所ではないことは分かる。しかし、行き先を教えてもらっていないため、亜紀は不安になった。すると、森崎から笑みを向けられた。 「お二人の新居です。亜紀さま」  返ってきたものは、予想外のものだった。亜紀は驚きの余り、瞬きを繰り返す。 「先日やっと内装工事が終わりまして、社長の部屋にあったものを運び終えたのですがね」 「え、ええ……」 「でも、社長は肝心なことをお忘れだったんですよ」  森崎の横顔を見ると、苦笑しながらため息をついた。 「内装から家具の手配まで全部社長が決めてしまったので、それが亜紀さまのお好みに合っているかどうか分からないのです」 「私の好み?」  亜紀が聞き返すと、森崎は小さく頷いた。 「お二人が気持ちよく住まわれるためのお部屋ですから、お二人で相談しながら決めた方がいいし、何よりその過程も大事なことだと思うのですが、社長は本当にそう言ったことに関しては頭が回らない方でして……」 「私のことだったら気にしなくていいのよ。今だって、寝るためだけに自分の部屋に戻っているだけだもの。特にこだわりはないわ」 「社長のお供で、月の大半をシンガポールで過ごすことが多かったんですが、帰国して自宅に戻るとほっとするんですよね。部屋の匂いとかソファの肌触りとか、お気に入りのクッションの柔らかさとか。亜紀さまにとって、御新居かそんな場所になってほしいのです」  新居は森崎が望むような場所にはなり得ない。むしろ、居心地は悪い方がいい。そんなことを思ってしまうのは、和明の思いがけない言動のせいだ。  この結婚は割り切ったものだといいながら、妻のことを知っておきたいという。見合いのときと今では、言ってることがブレているような気がした。彼は、和明は一体何を考えているのだろうと亜紀が考え込んだ、そのときだった。 「そのストール、いいお色ですね」 「えっ?」  唐突に森崎から話しかけられたものだから、亜紀は驚いた。 「ブローチもかわいいですね。って、それって、もしかして社長からのお土産ですか?」 「え、ええ。そうよ」 「だと思いました。ああ、良かった……」  ほっと安堵しているような声がした。森崎を向けば笑みを浮かべている。 「社長、覚えていたのですね。亜紀さまの誕生石」 「誕生石? どういうこと?」 「確か亜紀さまのお誕生石はアクアマリン、でしたよね?」 「ええ、そうよ」 「そのブローチ、アクアマリンなんです。ストールのお色はそれよりちょっと濃いですが。仕事の合間を縫って百貨店を回っていらしたのは、それらを探していたんでしょうね、きっと」  森崎が嬉しそうに話しているのに、亜紀は困り果てた顔をしていた。  和明が誕生石を知っているのは、愛妻家のまね事をするためで、そこに愛情なんかない。むしろ、あのときそのようなものは邪魔なだけだと自分自身も思ったじゃないか。  それなのに、今心が揺れている。和明が自分の誕生石を知っている、ただそのことがとても嬉しくて仕方がない。亜紀は胸の奥からあふれ出す感情を持て余していた。
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