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第10話 二章 4

 背中に暖かいものを感じながら、亜紀はゆっくりと瞼を開いた。  まず目に入ったのは、白いシャツを着ている男の胸だった。それが誰のものかわざわざ確かめなくても分かる。  頭上からは規則正しい寝息が聞こえていて、それに合わせて胸がわずかに動いていた。それをぼんやりと眺めながら、亜紀は瞼を閉じて気だるげに息を吐く。午後の日差しで暖められた空気が漂っていて、気を緩めてしまえば再び眠ってしまいそうだった。  夢を見ていたはずなのに、それがどのようなものなのか思い出せなかった。だけど、たったひとつだけ残っていたものがある。それは懐かしさだ。それが残っているということは、幼い頃の記憶の一端に触れるような夢だということになる。  亜紀が辛うじて思い出せる一番古い記憶は、青年と約束を交わしたときのものだった。それ以外で覚えているのは、思い出すのもつらいものばかり。それが記憶の淵から浮かび上がりかけてきたものだから、亜紀はそれから逃れようと眠る男の胸に顔をすり寄せる。  すると背中に回されていた手がわずかに動き、ゆっくりと撫で始めた。その手の感触と温かさを薄いニット越しに感じ、亜紀はハッとする。それはその動きと感触に覚えがあったからだった。  いつどこでこうやって背中を撫でられたのか、記憶を遡ってみたけれど、幾ら記憶を掘り起こしてみても思い当たるものが見つからない。男と顔を合わせたのは、ほんの一か月前のこと。それなのに、この動きと感触に懐かしさを感じてしまうなど、ありえないことだった。  よくよく考えてみれば、不思議なことが幾つもある。服や下着のサイズやココアのことはさておいて、彼が現れてからというもの、それまでなかったことが次々起きている。  まず、どんなに結婚を急いでいようが両親は、ここまで強硬手段に出たことがない。それに見合い話を持ち込んだのが祖父母ではなく、今まで家庭を顧みようともしなかった父親だという事実。その父親は男からの連絡がないことを心配までしていた。そして何より驚いたのは、両親が仲睦まじげにしていたことだ。しかも男と昔からの顔なじみのように会話を交わしていた。  そのひとつひとつを振り返っていると、それを遮るかのように抱き締められた。柔らかなシャツの布地越しに硬質な男の体を感じた。そして、そこからじわじわと体温が伝い、湧き上がった疑念の表面をゆっくりと溶かしていく。それとともに再び眠りの世界に吸い込まれそうになった。瞼が重くなっていく。瞼が閉じる間際、男が息をゆっくりと吐きだした。  すると、それまでもどかしいと感じるほどゆっくり撫でていた手の動きが、はっきりとしたものへと変わった。どうやら男が目を覚ましたらしい。ということは、今まで背を摩った仕草も体を抱き寄せる仕草も、全て無意識の行動だったということになる。それをどのように受け止めていいものか、亜紀はしばし頭を悩ませた。  じっとしていると、男の胸に押し付けられた頬から力強い鼓動が伝ってきた。それに気付いて顔を少しだけずらし、聞こえやすいよう耳をあてると振動とともに規則正しい心音が聞こえてきた。ひとつ。またひとつ。命の存在を示すように響く音。亜紀は瞼を閉じてその音を聞いていた。  そうしているうちに、初めて肌を重ねた夜のことが蘇ってきた。触れあわせた肌から伝う心音を聞いているうちに眠りに落ちていたことを。そのときのことを思い返していると、頭上から掠れた声が聞こえてきた。 「ベッドの上で診察か?」  亜紀はとっさに体を離そうとした。しかし、背中に回された腕がそれを阻む。押し付けられたところから聞こえる心音がわずかに速くなっている。それに気付いた直後、背中をマットレスに押しつけられた。男の体が熱くなった。それが何を示しているのか気付き、体を捩らせ逃げようとした。男の顔が迫ってきて、亜紀は顔をそらす。 「……やめて」  顔をそらしたのは、キスをされない為だった。だがそれが裏目に出てしまい、乱れた髪の合間から覗いた耳に唇を押し付けられてしまう。耳の縁を弾力のある唇に挟まれ、皮膚を濡れた舌先でなぞられて、そこから震えが走り亜紀は顔を顰めながら体を竦ませた。 「いや……」  必死に声を振り搾って出した声は、余りにもか細くて頼りない。覆いかぶさる男の体を押しのけようとしたけれどできなかった。そうしている間にも、男の唇は耳の縁から首筋に下りていく。そして、所々に唇を押しつけた。  押しつけるだけならまだ良い。問題は、わざとらしく音を立てて吸い付くことだ。その音が耳に入るたび、いやが応でもあの夜のことを思い出してしまう。  体が喜びの声を上げた瞬間、心と体が切り離されてしまったような気がした。心と切り離されてしまった体は、更なる快楽を欲していた。亜紀はそれが怖かった。  どうにか逃げ出そうとして体を捩らせると、脚の間に膝を差し込まれた。それだけでなく、捲(まく)れたスカートの裾から男の手が忍び込んできて、亜紀は肌を這う指の動きに体を震わせた。  更に男は亜紀を追い詰める。ショーツで覆われている秘所に、腰を押しつけ揺らし始めた。薄いレース越しに硬いものを押しつけられた上に刺激され、目を覚ましたかに熱を帯び始める。熱はやがて疼きに変わり、下腹の奥に吸い込まれていった。そして、温かいものがじわりとにじみ出る。それがショーツを濡らしたとき、亜紀は体の力を抜いて瞼を閉じた。  すると、男が急に動きを止めた。鎖骨に押し付けられていた唇と、太ももをまさぐっていた手がすっと離れ、覆いかぶさっていた男がゆっくりと体を起こす。  それに気づき、恐る恐る目を開いてみると、男から見下ろされていた。何が起きたか分からず、亜紀は不安になりながら、窺うような視線を向ける。男の表情は影になってはっきりと分からない。だが向けられた瞳には悲しみが滲んでいるような気がした。いや、違う。その目には覚えがある。あの日、ガラス窓に映った自分の目と同じだ。背後から抱き締められる寸前に見えたものは、全てを諦めた瞳だった。  男と見つめ合っていると、胸が締め付けられるような痛みが走った。同じような孤独を抱えている男の目から目をそらせない。亜紀は男の頬へと手を伸ばす。引き締まった頬に指先が触れたとき、それまで悲しげだった瞳がわずかに揺れた。亜紀が添えた手に大きな手が重ねられ、男は自嘲気味な笑みを浮かべた。 「誘ってるのか?」 「……え?」 「光栄だな。なら期待に応えないとな」  男はそう言うや、手の平に唇を押し付けた。押し付けられた弾力のある唇が、ゆっくりと食むように動く。伏し目がちに唇を這わす姿は、見るものによっては愛おしんでいるように見えるだろう。ふいに亜紀は錯覚を覚えそうになった。そのようなことなどあるわけないと分かっているのに、どうしてもそう見えてしまったから。  その姿をまじまじと見ていると、男が目線だけを向けてきた。そのとき、不覚にも心臓が大きく跳ね上がり、一気に全身が熱くなった。  亜紀の目の前では、男が掴んだ指先に唇を押し付けていた。見つめられたまま、ひとつ、またひとつと指先に口づけられている。 「やめて……」  震える声で訴えたけれど、男はやめようとしなかった。それどころか、わざと音を立てながら指に吸いついている。指先に触れる柔らかな唇の感触。吸い付かれるたび伝う粘膜の柔らかさ。時折悪戯に這わされる舌の動きは羞恥を煽り、理性と正常な思考を溶かしていった。  ひとしきり小さな手を舐(ねぶ)り終えた後、男は絡ませた。そして亜紀の頭上に縫い止めて、体をゆっくりと倒す。  男の体の重みが増すとともに、顔が迫ってきた。薄い唇がわずかに開く。顔が傾いたと同時に瞼を閉じようとしている。直感的に口付けられると思ったが、初めてのときのように抗う気持ちが起こらなかった。やがて温かい呼気が唇に触れた。亜紀は瞼をゆっくり閉じて、近づく唇を受け止めたのだった。  体中に唇を押し付けながら、男は亜紀の衣服を一枚一枚ゆっくりと取り払っていく。  肌に触れる唇も指先も、まるで羽根のようだった。いっそもどかしくなるほどのじれったい愛撫に耐えきれず、亜紀は子犬の鳴き声のような声を漏らす。  できることなら、初めてのときのように扱ってほしかった。そうすれば、交わりがただの生殖行為だと割り切ることができるのに。しかし亜紀の願いも虚しく、男の愛撫はとても優しかった。  体を許しても心は明け渡さないと決めていたはずなのに、そう感じてしまうのは男の目に自分と同じものを見てしまったからだろう。男の孤独に触れたとき、頑なだった心が緩んでしまったに違いない。亜紀は与えられる快感を抗うことなく受け入れていた。  濡れた唇が胸にたどり着いた。張りのある乳房の先端は、すっかり赤みを帯びて立ち上がっている。男がそれに手を伸ばしながら、もう片方の尖りを口に含んだ。その瞬間、亜紀は体を震わせながら、声を詰まらせる。  二つの異なる刺激が重なり合って、より強いものに変わっていく。それが全身に波のように押し寄せてくる。亜紀は頬を赤くさせながら乱れた呼吸を整えようとした。だが、それがままならず、つい胸元に目を下ろす。  男はまるで赤子のように、乳房にむしゃぶりついていた。その姿を目にしたとき、胸の奥がじんと熱くなっただけでなく、奥から温かなものが溢れてきた。亜紀は無意識のうちの男の頭に手を伸ばす。  髪に指を潜り込ませると、汗でしっとりと湿っていた。指先で弄び始めると、高ぶっていた感情が、穏やかなものへと変わっていった。その変化に戸惑ったが、嫌ではない。  感情の変化と同時に亜紀の表情も変化していた。切なげに顔を歪ませていたのに、今では穏やかな笑みを浮かべている。それが感情の変化の始まりだと気付かないままに。  亜紀は身を委ねながら、そわそわと落ち着かない気持ちになっていた。乳房を弄んでいた男の唇がゆっくりと下腹に向かっていることもあるのだが、体が示す反応が初めて抱かれたときと明らかに異なっていたからだった。  男の愛撫があのときよりも優しいこともあるのだろうが、それだけではないような気がした。初めて抱かれたときは、快感を性急に目覚めさせられたようなものだった。それなのに今は、ゆっくりと体を開こうとしている感じだ。 「あ……っ」  亜紀はとっさに体を起こした。それは、男が両脚を抱えながら秘所に顔を埋めたことに気付いたからだ。ジタバタと脚を動かし、亜紀は腰を引こうとした。だが、その腰をしっかり抱かれてしまい、逃げられなくなった。  男は迷うことなくそこに顔を埋め、音を立てながらそこにむしゃぶりついた。ふっくら膨らんでいる花びらと、淫蜜に濡れた外殻の間に尖った舌先がなぞるように這わされる。柔らかな花弁には指があてがわれ、円を描くように摩られるたびに、くちくちと粘ついた音がした。  舌の動きが伝い、ゆっくりとした動きにじれったさばかりが募る。そこじゃない、もっと上。早く。早くそこにたどり着いてほしい。そしてこの疼きと熱をどうにかしてほしかった。すると、男がそれを見透かしたかのように、柔らかな皮膚に包まれた肉芽にそっと唇を押し付ける。その刹那、小さくとも鋭い快感が体を貫き、亜紀は体を力ませながら掴んだシーツをきつく握りしめる。 「う……んっ」  とっさに体をこわばらせたが、それだけでは耐えられなかった。逞しい肩に担がれた両脚や腰が、ブルブルと痙攣し始める。尖らせた舌先で捏ねられると腰が跳ね上がる。柔らかい唇で挟まれるとその腰が揺れ動いた。それを繰り返されているうちに、亜紀はあられもない声を上げていた。  男は亜紀の弱いところを的確に探り当て、そこを巧みに責め立てる。しかも、快感の余韻が尾を引いているうちに、新しい快感を重ねられるものだから、次々と襲い掛かる快感を受け入れざるを得なかった。  快感はすべて子宮へと集められていく。それに乾いた砂が水を吸うように、快感の余韻までもが体の奥へと吸い込まれていった。体の芯へと集められたものが、どんどん凝縮されていく。  凝縮された上に膨れ上がった熱が、体の奥からせり上がってきた。呼吸を整える合間に、その熱を逃そうとするが、息を吐き出すそばから新しい熱がせり上がってくる。あとからあとから生じる熱は、亜紀の理性をとろとろと溶かしていった。  白く滑らかな肌はすっかり上気し、桜色に染まっている。汗で濡れた肢体は、快感が走るたび痙攣を繰り返した。濡れた唇の合間からは、艶めかしい吐息とともに悦びの声が漏れている。すっかり潤んだ瞳は、虚ろに宙をさ迷っていた。切なげに顔を歪ませる彼女の表情は、ひどく悩ましいものに変わっている。 「はぁ……ん」  なまめかしい声が、赤い唇の合間から熱を帯びた吐息ともに漏れた。快感のあとの余韻がもどかしくて、亜紀は腰をくねらせる。触れられている場所がじんじんと熱を放ち、そこで得られる痛みと快感を増幅させた。そしてついに始め飛んだ瞬間、頭の中が真っ白になる。 「あ……っ!」  亜紀の体が大きく跳ね上がった、そのとき。 「ああ……っ!!」  亜紀は眉間にしわを寄せながら、その衝撃に耐えきれず背を弓なりにしならせて、声を上げた。男は汗が滲んだ顔を苦しげに歪ませながら、彼女の細腰をしっかりと掴み怒張を差し込んだ。  男が腰を穿つたび、その動きに合わせて開いた唇の合間から悩ましい声が漏れる。性急ともいえるような交わりに、亜紀は驚く暇(いとま)もなくそれを受け入れていた。  二度目だからか、前回のような引きつる痛みは感じなかった。その代わり感じたものは、安堵のようなものだった。接している場所から怒張の硬さと熱が伝い、そこがじわじわと熱を帯びてくる。  執拗なまでの愛撫によってすっかり熟れた媚肉は、怒張を難なく迎え入れ、包みこむように締め付ける。そのせいか、男の表情がどんどん切羽詰まったものになっていく。  大きく息を吐きながら、男は腰を押しつけながら汗で濡れた体を倒してきた。亜紀はそれに合わせ、脚を男の腰に絡ませて腰を上向かせる。そのとき怒張が更に奥へと入り込んできて、今まで感じたことがないほど強い衝撃と快感が全身を貫いた。  彼女は声を詰まらせながら、男の体にしがみ付く。回した手から伝ってきたのは、濡れた肌と熱だった。男にしては柔い肌が汗でしっとりと濡れている。苦しそうなうめき声が聞こえるたびに、引き締まった背中が上下した。亜紀はそれを抑え込むようにしっかりと抱き着いた。  体の一番深い場所で男を感じた。接している場所全てから、じわじわと染み出すもののせいで、その動きも滑らかになっている。  とはいえ、初めてのときと同じように抜き差しはゆっくりだった。汗で髪が張り付いた亜紀の首筋に、男は荒い呼吸を吐き出しながら顔を埋めた。乱れた呼吸の合間に、苦しそうなうめき声が聞こえてくる。  抱きしめている男の体がひときわ熱くなった。耳に入る息づかいも、ますます苦しそうなものになってきた。体の奥に溜まった熱と疼きが一気に膨れ上がったとき、それを見越したかのようにより強く腰を穿たれた。そのせいで、強い快感が襲い掛かり、亜紀は一気に高みに押し上げられた。  全身がこわ張り、肌から一斉に汗が噴き出した。意識が散り散りになっていき、薄れいく意識の中で汗で濡れた背中にしがみつく。  すると、背中に温かなものが添えられ、すぐに抱き締められた。その温かさに包まれて、亜紀は吸い込まれるように眠りに落ちた。
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