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第4話 一章 3

 和明とともに向かった部屋は、落ち着いた色調でまとめられた部屋だった。  部屋に入ってすぐ見えたのは、壁一面の大きな窓だった。その向こう側には日比谷の街と公園の緑が広がっている。部屋の調度品はウォールナットでまとめられており、色味の濃いシックな色が部屋の雰囲気に合っていた。亜紀は、部屋に入ってすぐ大きな窓に近づいて、窓の外に広がる景色を眺め始める。  すると窓ガラスに男が映り込んできた。男は、部屋に入ってすぐにジャケットを脱いだあと、窮屈そうに襟を緩め出す。その姿を見たとき、車の中でのやりとりが蘇ってきた。亜紀は気付かれないよう細心の注意を払い、小さなため息をつく。  我に返ったあと、亜紀は男にじっと見つめられていることに気がついた。しかし、その目は亜紀の目を見ているわけではなかった。視線をたどってみると、胸元や体に向けられていた。亜紀が胸元とスカートの裾を手で隠すと、それに気がついたのか男はわずかに顔を振り向かせ、無遠慮な視線を投げてきた。 「処女、ではなさそうだな。もうとっくに男を知っているんだろう?」  処女ではないことは否定はしない。しかし、品位を欠いた言い方が気に入らず、亜紀は男をにらみ付けた。 「あなた、最低な男ね……」 「まあ否定はしない。だが、最低な男であっても、上条家が望む婿を完璧に演じてやる」 「え?」 「婿としての役目だけは、立派に果たしてやるってことだよ。必ず上条の跡取りを生ませてやる。そもそも、それがこの結婚の目的なわけだしな」 「ちょっと待って。じゃあ、あなたが上条の家の婿になることは……」  やはりそうかと思いながらも、亜紀はあえて問いかけた。 「決定事項ということだ」  その言葉を聞いた瞬間、一度は静まった怒りが爆発した。 「そんな話聞いてないわ!」 「その話を出してしまえば、理由をつけて断ろうとするだろう? そうさせない為にしただけだ」  淡々と話している男をにらみ付けても、事態は何ら変わらない。それが分かっていても、そうせずにはいられなかった。亜紀は悔しそうな表情で唇をかみ締めた。 「今回の結婚で堺家が得るものを教えてやる。俺の父親は今でこそ堺重工の社長だが、若い頃から政治家になりたかった人間でね。俺を婿として差し出す代わりに、上条家の後ろ盾を得て政界に打って出るつもりなんだ」  話を聞いて亜紀は驚いた。確かに上条家は政界と繋がりはあるけれど、さほど大したものではない。それに祖父が医師会の要職から離れたあたりからは、更に弱くなっているはずだ。亜紀は焦ったように話す。 「ちょっと待って。もう|上条家《うち》にはそんな力なんか―――― 「成り上がりの家が政界へ打って出るためには、それなりの箔をつける必要がある。そのために必要なのさ。上条家という由緒正しい家の後ろ盾がな」 「たとえ後ろ盾を得たって、政界入りしたあなたのお父さまは利用されるだけよ? 上条家と繋がりが残っているのは、表舞台に返り咲きたい古狸(ふるだぬき)ばかりだから」  事実祖父と繋がりを持っているのは、いつ引退してもおかしくない老獪な政治屋ばかりだ。彼らは表舞台に返り咲くことを、虎視眈々と狙っている。祖父がそんなものらと繋がりを持っているのは、いずれ医師会の要職に再び就くことを狙っているからだと耳にしたことがある。医師という職にありながら、未だに野心が尽きぬ祖父が愚かしいもののように感じられて、亜紀は表情を曇らせため息をつく。すると車を運転していた男が、独り言のようにつぶやいた。 「思いどおりに生きることは難しいな、お互いに」 「……え?」 「互いの家同士の目的を果たすため、俺たちの人生を利用しようとしているんだからな」 「利用、ね……」 「そう、人身御供(ひとみごくう)と同じだ。なら何も考えずに敷かれたレールの上を走って、やることだけやってあとは好きにすればいい。俺と結婚すれば好きなようにさせてやる。悪い話じゃないだろう?」  男から告げられた提案を受け入れてしまえば、確かに自由の身になれる。ただし本当の意味での自由ではない。役割を果たしたあとの制限つきの自由だ。  夫となる男に求められるものは、たったひとつ。上条家の跡取りとなる子供の父親になることだけだ。それ以外何を望むことがあるのだろう。亜紀は両親の姿を思い出し、薄く笑う。 「あなたの言うとおりかもしれないわ……」 「え?」 「互いの家の利益を考えれば、自ずと答えはひとつ、しかないのよね……」 「そういうことだ。もし婚前交渉が悪いものでなかったなら、互いの自由を得るために契約したい」 「選択の余地なんかあるの?」  亜紀は、苦笑しながら聞き返す。 「まあ、ないな。あるとすれば互いの嗜好がどうしても合わない場合だ。しかし、それはしてみないことにはわからない、そうだろう?」 「そうね……」 「合理的に考えられる女性で助かるよ。じゃあこのまま向かうぞ」  まるで最終確認のような言葉を告げられて、亜紀はただ頷くことしかできなかった。 「シャワー、浴びるか?」  不意に背後から尋ねられ、亜紀は現実に引き戻された。ガラス窓を見ると、いつの間にか男がすぐ後ろまで来ていたものだから、亜紀はそこから逃げだそうとした。だが、体を押しつけられた上に、腰に腕を回されてしまい逃げられなかった。 「どうする? シャワーを浴びるか?」  耳に軽く押しつけられた唇から出た声は、とても低かった。その声が耳に入った瞬間、体の深いところがほのかに熱を帯びた。体の深部にじんと響いた熱は、緩やかに全身へと広がっていく。  すると、まるでスイッチが入ったように、男の匂いが気になりだした。匂いだけじゃない。背中に伝わる体の固さと、腰に回された腕の感触に勝手に意識が向かいだした。思いがけない体の異変に、亜紀は戸惑ってしまう。体が勝手に反応していることが信じられなかった。  勝手に反応する体から気を逸らそうとして、体の火照りに耐えながら窓の外に広がる景色に目をやった。すると鏡面のようになったガラス窓に、自分の姿が映り込んでいる。切なげに歪む顔。わずかに開いた唇からは乱れた息が漏れている。乱れた自分の姿を見たことがないだけに、恥ずかしくて堪らない。不思議なことに、羞恥を感じた途端、更に体が熱くなった。更に息苦しくなってきて、呼吸もままならない。  すると抱きしめていた腕が急に解けたと思ったら、両腕を軽く掴まれ、ゆっくりと振り向かされた。亜紀はとっさに、視線を落としたまま顔を俯かせる。  亜紀が顔を俯かせたのは、恥ずかしいからだけではない。これから何をするのか知らないほど初心(うぶ)ではない。だけどその行為をするのは四年ぶりだ。その不安を男に気付かれたくなかったからだった。  すると、男の顔が急に迫ってきて、鼻先が触れる寸前、亜紀は無意識に顔を逸らした。彼女の表情は今にも泣きそうになっていて、唇は口付けを拒むかのように固く引き結ばれている。  亜紀が顔を逸らしたことで、肩透かしを食う形となった男は、無理やり彼女に口付けしようとした。亜紀は体を捩らせ逃げようとした。しかし、しっかりと腕を掴まれているせいで逃げられず、ついには唇を奪われてしまう。  口付けされた瞬間、唇をぎゅっときつく結ぶが、肉厚の舌を力ずくでねじ込まれた。それと同時に腕を掴んでいた手が背中に回されて、よりきつく抱きしめられてしまい、亜紀は男の口付けを甘んじて受け入れざるを得なかった。 「んっ! んんっ……」  唇を熱い舌で割り開かれてしまい、亜紀は顔を顰めさせた。押しつけてくる男の体を押しのけようとしたけれど、硬い胸板はびくともしない。強引にねじ込まれた舌に口内を激しく犯されて、亜紀はすべての感覚を閉ざすかのように瞼を閉じる。長いまつ毛は涙で濡れていて、不安げに震えていた。  こんな荒々しいキスは初めてだった。されたこともなければ、したこともない。息苦しさに耐えきれず口を開くと、舌を絡め取られてしまっただけでなく、強引にしゃぶりつかれてしまった。  舌からダイレクトに伝わる熱と、舌の動きの激しさに翻弄されて、意識が遠のきそうになる。男の体から発する熱と匂いがそれを加速させた。こわばらせた体から、力がゆっくりと抜けていく。  その頃合いを見計らったかのように、男が体を押しつけてきた。亜紀はふらふらとなりながら後ずさる。いつの間にかベッドの端まで追い詰められていたのか、背中に回された手の力が強くなり、ゆっくりとベッドへ体を倒された。その間、男は口付けを解こうとしない。  口付けしながら、男はウェストコートのボタンを乱暴に外し、ネクタイを引き抜いた。シャツを脱ぎ捨てながら、亜紀の両脚の間に膝を割り入れる。そして、ワンピースの裾から手をすっと差し入れた。  男の手の感触をストッキング越しに感じ取ったとき、勝手に体がビクッと震えた。すると、それまで塞がれていた唇が、ようやく離れてくれた。 「……嫌なら嫌と言ってくれ。そうすれば、やめるから」  何を今更言うのだろう。先ほどは強引に唇を奪ったくせに。亜紀は朦朧としながら、心の中で毒を吐く。目をつぶったままの亜紀の姿を、男は無表情のまま見下ろしていた。  だが、何も返事をしようとしない亜紀の首筋に顔を寄せ、細い首に唇を押し付けた。亜紀は体をこわ張らせる。首筋を這いまわる唇の感触に耐えきれず、目を閉じたまま顔を逸らした。  太ももに置かれた手が動き始め、感触を味わうようにゆっくりと撫で始める。だが、ただ撫でている訳でなく、じりじりと間合いを詰めながらその場所へと向かっていた。少しずつ近づく手の感触に恐れを感じ、亜紀はそれに耐えようと唇をかみ締める。  やがて男の指が、亜紀の足の付け根にたどり着いた。鼠径部をすっと掠められて、亜紀は思わず腰を引いてしまう。それを押さえつけたのは、和明の手だ。背中に置かれていた手に阻まれてしまった。  脚の付け根にあるその場所に、男の指が這わされる。布地越しに撫でられたが、亜紀はあえてそこへ意識を向けないようにした。這わせた指先に何かを感じたのか、男はほくそ笑みながら亜紀の耳に唇を押し付ける。 「分かるだろ? 濡れているのが」  低い声で告げられたとき、羞恥で体が熱くなっただけでなく、下腹の奥がじんと疼いた。勝手に女の反応を示している己の体が恨めしい。  そこが濡れているのは、指戯で感じているからではない。そう言いかけたけれど、喉の奥で言葉を押しとどめる。亜紀がそうしたのは、何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうし、逆に男の劣情を煽るだけの結果になることが分かっているからだった。  だから亜紀は、あえて男から欠けられた言葉を認めたふりをした。それまで胸の前で握りしめていた手をベッドに投げ出して、それまで男の侵入を阻むかのように力を込めていた脚の力も抜いた。だが好きでもない男を受け入れなければならない現実を心が受け入れることができず、唇が勝手にブルブルと震えていた。  亜紀が体の力を抜いたことを無言の従順と受け取ったのか、足の付け根に這わされた指が再び動き出す。そして男は、小さな耳に舌を差し込んだ。  耳に差し込まれた舌の感触。温かい唾液で濡れたところに掛かる息は荒かった。そして下肢を無遠慮に這いまわる指。四年ぶりとなるセックスに不安を感じている亜紀にとって、これらはみな恐怖の対象でしかない。それでも必死になって耐えているのは、早くその行為を終わらせたかったからだった。  じっとしてさえいれば、男は勝手に腰を振ってそのうち果てる。それまでの辛抱だと決め込んでいるのに、男はわざと己の存在を誇示するようなことばかり仕掛けてくる。無理やりにでも反応させようとしていることが、なんとも愚かしく思えてきて、亜紀の心は冷めていった。  すると、男の指が敏感な突起を探りあてた。そこに触れられた瞬間、体がビクッと痙攣しただけでなく、腰が勝手に揺れてしまい、亜紀は歯を食いしばった。  亜紀が全身で男を拒んでいるにもかかわらず、男は更に指の動きを激しくさせた。触れるか触れないかのギリギリのラインながらも、動きは荒々しい。時折引っかかれるせいで、鋭い快感が体を貫き、亜紀を苛んだ。  断続的に伝う快感は、すべて子宮へと吸い込まれるように集められていく。それは、やがて熱と疼きに変わる。体の内側で膨れ上がったそれは、理性をあっけないほど簡単に溶かしていく。  いっそのこと快楽を受け入れてしまおうか。そうすれば何も考えずに済む。そんな考えが亜紀の脳裏をよぎる。だが目前まで迫る快楽から引き離そうとするかのように、幼い頃に約束を交わした青年の声や恋人だった男の姿が次々と浮かんできた。  理性と本能がせめぎ合い、ぎりぎりのところで踏みとどまっていると、男の指が敏感な突起を強く押し込んだそのとき。鋭い痛みと強烈な快感が脳天まで突き抜けたと同時に、それまで膨れ上がっていた熱と疼きが理性が焼き切れて、亜紀は絶頂を迎えたのだった。
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