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第3話 一章 2

 見合い相手のエスコートは、とてもスマートだった。  強引過ぎず、かといって遠慮がちなものではない。それに、歩く速さも合わせてくれている。もしかしたら、女性をエスコートすることに慣れているのかもしれない。亜紀は頭一つ分背が高い見合い相手と歩きながら、そんなことを考えていた。  お互い大人だ。女の一人や二人くらい、過去にいたって不思議ではない。それにこの容姿だ。黙っていても女は勝手に寄ってくるだろう。そう考えているうちに、少し前を歩いている男の姿に父親の姿が重なって見えた。  若かりし頃から浮き名を流していた父親は、結婚したからといっても変わらなかったらしい。そして今も週末になるとどこかへ出かけてしまい、母親はそれを咎めることもなく、黙って見送っている。それが実は愛人のもとへ行っているのだと教えてくれたのは、誰であろう祖母だった。  この相手と結婚したら、そんな日々が待ち構えている。そう思った途端、やり切れなくなった。しかし、そうやって生きていかなければならない身の上だ。そこに愛はなくとも信頼さえあればよい。亜紀は改めてそれを自分自身に言い聞かせ、ツツジが咲く庭に出たのだった。  石畳が敷かれている中庭は、さほど広くはなかった。視線を感じそれをたどると、互いの両親が談笑しながらこちらを眺めていた。亜紀は内心うんざりしながら、中庭へ目を向ける。  庭のあちこちでは、ツツジが咲き乱れていた。それらを眺めながら歩きだすと、しばらくしてから男が急に立ち止まった。亜紀は、彼の次の行動を待つ。すると、目の前で辺りの様子を窺い始めた。亜紀は怪訝な顔で眺めていると、相手が真面目な顔で振り返ってきた。 「結婚しないか?」  亜紀は目を大きくさせた。まさかそんな言葉が、いきなり飛び出すとは思いもしなかったからだ。しかし見合い相手は、驚いている亜紀のことなど気にすることなく、淡々と話し続けている。 「お互いいい年だ。このまま結婚しないでいると、周りがうるさい」  亜紀は落ち着きを取り戻し、苦笑を向けた。 「だからって、いきなり?」 「どうせ家同士の繋がりのための結婚だし、それが目的の見合いの席だ。話は早い方が良い」  清々(すがすが)しいほどきっぱりと告げられた言葉は、確かに的を射ているとは思う。だが、それを認めることができなくて、亜紀は聞き返した。 「随分率直なこと。互いのことを何一つ知らないまま結婚するつもり?」 「結婚するからといって互いを深く知る必要はない。先ほども言ったがどうせ家同士のつながりのための結婚だ。そこに俺たちの意思や感情など関係ないだろう? それに今回の話がまとまらなければ、また違う相手と見合いさせられる。それだけのことだ。仕事で忙しいのに、その為にわざわざ帰国しなきゃならない。妥協するわけではないが、そろそろお互い手を打たないか?」  確かにその通りだとは思う。今回の見合いがまとまらなければ、また違う相手と見合いをさせられるだけのことだ。それを考えるとこの提案を受け入れてもいいような気にさせられた。  しかし、目の前にいる男の様子を見てみると、どうも焦っているように見えた。もしかしたら、結婚を急がねばならない理由があるのかもしれない。亜紀は、探るようなまなざしを向ける。 「なんだ? もしかして俺が長男だから迷っているのか?」 「え?」 「確かに俺は長男だが、愛人の子供なんでね。父親の跡は弟が継ぐことになっている。だから婿に入ることに問題はない。むしろ堺家としては大喜びだ。何せ厄介者がいなくなるんだからな」  自嘲めいた笑みを浮かべてはいるが、寂しさがわずかに透けて見えた。愛人の子であるが故に、堺家でどのような扱いを受けているかなど、彼から告げられた言葉で容易に想像がつく。つまりこの縁談は、堺家にとって体の良い厄介払いなのだろう。しかし、そのために結婚したくはなかった。亜紀は相手を軽くにらみ付ける。 「だからと言って、上条家を利用するつもりなら、まっぴらごめんだわ。この話はなかったことにしてくださる?」  感情を押し殺しながら尋ねると、いきなり相手が迫ってきた。 「そうはいかない。俺はあなたと結婚したい」  すぐ目の前に迫る男の目は、まるで獲物を見定めた狩人(かりゅうど)のようだった。亜紀は、目をそらせないまま、言葉を詰まらせる。  本能的な恐れを感じてしまい、亜紀は無意識のうちに後ずさりしていた。しかし、一歩後退すると、男は一歩前に出る。それを繰り返しているうちに、どんどん間合いを詰められていた。 「なぜ、逃げるんです?」  問いかけられて、亜紀は後ずさりしていることに気がついた。後退している足を止め、じりじりと迫る男をにらみ付ける。しかし、相手は足を止めようとしなかった。  男が一歩近づくごとに、有無を言わさぬほどの圧力も一緒になって迫ってくる。どうにか気持ちを奮い立たせて抗いたいところだけれど、もしも反論したなら牙を剝(む)かれてしまうだろう。渇いた喉から声を振り絞ろうとしたけれど、その声は余りにも頼りない。 「いや……。近づかないで……」  亜紀は弱々しい声で訴えた。だが、男は彼女の意に反してどんどん間合いを詰めてくる。 「逃げるな。逃げるから追うことになる」  そのとき、怒りで全身がカッと熱くなった。亜紀は声を限りに言い放つ。 「あなたが近付いてくるからでしょう? いい加減にして!」 「だから、なぜ逃げるんだ!」  言い返されて、ひるみそうになる。迫る男の迫力に、亜紀はすっかり押されてしまっていた。震える足で後退しようとしたとき、何かに躓いたせいで体がぐらりと傾いた。亜紀はとっさに目を閉じる。  すると、強い力で体を一気に引き寄せられた。硬い何かに体当たりしたような衝撃が走り、恐る恐るまぶたを開いてみると、男に抱き締められていた。それにほっとしたのもつかの間、今度は一気に体を持ち上げられてしまい、亜紀は驚く余り大声を出した。 「いやあああああっ!」 「暴れるな、落ちるぞ」 「離してっ! 離してよっ!」 「離したら逃げるだろうが!」  男の肩に担ぎ上げられてしまったけれど、亜紀は必死になって逃げだそうとした。しかし、幾ら背中を叩いてみても、脚をじたばたさせてみても、しっかり腰を抱かれているせいで逃げ出せない。  頭では分かっている。こうなったら逃げ出せないということくらい。しかし、それでも抗わずにはいられなかった。 「なんだ、まだ抵抗するつもりか?」  愉快げに言うものだから、それが更に怒りをあおり立てた。 「うるさいわね! とにかく離して!」 「だから、離せば逃げるだろう? それをわかって離すやつなどいるものか!」 「いやっ! 離してっ! 離してってば!」  恥も外聞もかなぐり捨てて叫んだけれど、男は素知らぬふりしてどこかに向かって歩き出した。亜紀は助けを求めようとして、レストランの建物に目をやった。  すると、見合いが行われた部屋の窓から、心配そうな顔で見ている両親の姿が見えた。しかし、全く動く気配がない。その姿を見た瞬間、亜紀は全て仕組まれていたことに気が付いたのだった。  連れ出されたのは、レストランの駐車場だった。  ここからどこへ連れて行かれるかが分からないだけに、亜紀は気が気でない。しっかりと両脚を抱えられてしまっている以上、逃げ出すことはできないし、だからといって和明の言いなりになるつもりはない。  抵抗をやめたのは、様子を見るためだった。万が一乱暴に扱われたなら、それを理由に見合いを断ることができる。暴力をふるうような男を、さすがに婿に迎えることはないだろう。そう思ってのことだった。  亜紀が眉間にしわ寄せながらじっとしていると、無礼な男が急に歩みを止める。それに気が付き、大きな背中に手をついて振り返ろうとしたとき、車のドアが開く音がした。その直後、いきなり腰を掴まれただけでなく、放り出されてしまう。 「きゃ……」  固い革のシートに押し込まれ、亜紀はとっさに体を竦ませる。押し込まれたのは、車の後部座席だった。突いた手のひらから、ひんやりとした感触が伝わってくる。すぐさま体を起こしにらみ付けるが、その相手は目線を下げていた。  視線をたどってみると、露わになった太ももだった。押し込まれたときにめくれ上がってしまったのだろう。慌てて裾を直して腿を隠したあと、再び相手を睨み上げるが、冷ややかな笑みを向けられていた。 「おとなしくしろ。そうすれば手荒には扱わない」 「ふざけないで! もう手荒にしてるじゃない!」  相手に対する怒りが瞬時に爆発し、亜紀は噛みつく勢いで言い放った。だが、怒りをぶつけた相手は全く動じていないばかりか、苦笑を浮かべている。 「これが? 大事に抱えてやっただろ?」 「「やった」ですって? あなたいったい何様のつもり?」  亜紀が言い放つと、男は笑みを浮かべた。だが、目は笑ってなどいない。 「上条家の婿のつもりだが」  亜紀はがく然とした。それとともに、連れ去られる自分の姿を、ただ見ていただけの両親の姿が浮かんできた。両親は、ついに強硬手段に出たのだろう。そう思ったら、怒りが急速に萎えていく。心に諦めが広がり始めたとき、男の声が耳に入ってきた。 「とにかくここではなく、別の場所に向かうぞ。話はそのあとだ」 「え?」 「おとなしくしてろ。そうすれば話はすぐに済む」  そう言うと、男はドアを閉めたあと、そこから離れたのだった。足音が離れていく。今なら逃げられる。瞬間的にそう感じ、すぐさまドアを開けると、目の前には男が立っていた。 「無駄だ。諦めろ」  顔を凍り付かせた亜紀をよそに、男は開いたドアを再び閉めた。亜紀が悔しそうな顔で座り直すと、その前にある運転席のドアが開いた。男は運転席に乗り込むと、車を走らせる。  窓の外の光景が、ゆっくりと動き出した。それとともに、レストランの建物が離れていく。  亜紀は窓の外を流れる景色を眺めながら、憂鬱そうにため息をこぼしたのだった。  亜紀は、我が身に降りかかった出来事を振り返りながら、窓の外の景色を眺めていた。流れる景色は、いつの間にか住宅街ではなくなっていて、公園の緑の合間に見える高層ビルが見える。  思えば、おかしいところが幾つもあった。今までだって相当な数の見合いをしてきたが、見合い相手の大半を占めていたのは病院の息子か、現役の医師だった。だが目の前にいる男はそうではない。退屈な見合いの席で聞こえてきたのは、それとは異なる仕事だった。  それに今回の見合いは、やけに力が入っていた。亜紀が身に着けているワンピースやヒール、そしてアクセサリーに至るまで、すべて母親が用意したものだ。その上、ヘアメイクのプロまで呼び寄せている。その時点で気付きべきだったのだ。  この見合いがただの見合いでないことに。亜紀は、気付けなかったことを心の底から悔やんだ。それに、自分が知らないところで、全て決められたことも悔しかった。しかし、それを訴えたところでもう手遅れだ。現に両親と見合い相手とのあいだでは、結婚が取り決められているのだろうし。  こんなことになるのなら、適当な相手で手を打てば良かった。いや、いっそのこと四年前に当時の恋人のもとへ行けば良かった。しかし、相手に背負わせてしまうものを考えたとき、惚れた腫れたで乗り越えられない壁があることを思い知らされた。  見合い相手にせよ、恋人にせよ、どちらを選んでも、孤独と負い目が付きまとうことになる。見合い相手を選んだならば、互いの体温さえ分からぬまま重い荷物を背負うことになる。それに、見合い相手は自分のことを、一人の人間としてではなく上条家の跡取りとしてしか見ないだろう。かといって、恋人を選んだならば、相手の体温を感じるが故に重い荷物を背負わせることがつらくなる。結局どちらを選んでも、その代償として背負うものは酷なものばかりだ。  もしかしたらあの青年は、約束を忘れたのではないのかもしれない。自分が上条家の跡取りとして求められているものが多すぎるから、迎えに来る前に逃げ出したのかもしれない。亜紀がそのようなことを考えていると、運転席から声がした。 「もう抵抗は終わりか?」  亜紀が窓の外に向けていた目を前に向けると、フロントミラー越しに男と目が合った。だが、すぐに目線を窓の外に戻す。己の意思に反した結婚だが、それが気に入らないと抵抗したって無駄なことだ。心の中を諦めが覆い尽くす。亜紀は流れる景色を眺めながら、男に問いかけた。 「どこに向かっているの?」  しばらく間が空いたあと、男から聞き返された。 「気になるのか?」  まさか、聞き返されるとは思わなかっただけに、亜紀は顔をしかめさせながら前を見る。ミラー越しに見えたのは、冷ややかな目だった。なんの感情も浮かんでいない冷たいまなざしを受けたとき、亜紀は無意識のうちに怯んでしまい目をそらす。 「ふ、ふざけるのもいい加減にして。あなた自分が何をしているのかわかっているの?」  恐れをなしたと気付かれたくなくて、亜紀はあえて虚勢を張る。すると、思いがけない言葉が耳に入った。 「妻になる女と最初の婚前交渉を持つために、ホテルに向かっているところだ」  ――は?  亜紀は目を大きく見開いたまま、何も言えなくなった。ぎこちない動きで視線を前に向けると、男は前を向いたままだった。
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