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第67話

 同窓会は、上条病院から少し離れた場所で行われることになっていた。  亜紀は仕事を早めに切り上げ、その場所へと向かう。腕時計を見ると、既に始まっている時間になっていて、向かう足も知らず知らずのうちに速くなっていた。  歩道に出ると、すっかり暗くなっていた。同じ時間でも盛夏の頃は昼の熱気が残っていたのに、今では初秋を感じさせるものになっている。ストッキング越しに感じる風が薄ら寒い。トレンチコートを羽織っているからいいけれど、ワンピースとジャケットだけなら夜更けになれば、きっともっと肌寒く感じるだろう。  こつこつとヒールがアスファルトの歩道を蹴る音が響く。住宅街の端に位置する病院から繁華街へと向かっていくうちに、すれ違う人の数も徐々に多くなってきた。  そして、目抜き通りに出ると、亜紀は急に足を止める。メールを開いて地図を見た。目的の場所まであともう少し。それを確かめ終えると、亜紀は再び前を向いて歩き出した。  同窓会は店の奥にある部屋で、既に始まっていた。部屋に入ると、さほど広くない座敷に十人に満たない友人たちがいて、それぞれ盛り上がっていた。その面々を見ると、彼らと過ごした大学時代に気持ちが戻っていく。  あの頃は、必死だった。ようやく医師への第一歩を踏むことができたとはいえ、それは始まりにしか過ぎなかった。人間の生死に関わる仕事なだけに、学ぶべきものが多かったし、知識だけでなく経験を積まなければならない。だから大学時代の思い出を振り返ると、楽しいものばかりではなかった。  しかし、同じ志を持つ友人との思い出は別だ。それに、かつての恋人とのことは特に。そこにいる友人たちの姿を見渡しながら、亜紀は嘉納の姿を探し始めた。 「上条さん、こっち」  懐かしい声がした方へ目をやると、かつての恋人が笑みを浮かべながら手招きしていた。その姿は、最後に目にした姿とほど変わっていない。ただ、少し疲れているようにも見えたが、気になるほどではなかった。亜紀は懐かしそうな目で、嘉納を見る。  人のよさそうな柔和な顔立ちは、学生時代から何ら変わっていない。年を重ねてはいるけれど、それが年相応の落ち着きを感じさせた。向けられたまなざしが春の日だまりのように優しくて、自然と笑みが漏れていた。座敷に腰を下ろしている友人たちに挨拶しながら、亜紀は嘉納へと近づくと、隣の席がおあつらえ向きのように空いていた。そこに腰を下ろし、亜紀は嘉納に挨拶する。 「久しぶりね、嘉納さん」 「久しぶりだね」  そう言い終えたあと、嘉納が顔を陰らせた。 「以前学会で見かけていたけれど、声を掛けるのがためらわれた。だって……」  自嘲するかのような笑みを向けられて、亜紀もまた同じような表情で返した。 「仕方がないわよ。お互い忙しかったし」  申し訳ない気分になって顔を俯かせると、嘉納から急に問いかけられた。 「ところで、結婚が決まったって聞いたけど……」  遠慮がちに尋ねられ、亜紀は笑みを浮かべて頷いた。 「ええ。来年の春に」 「そうか。おめでとう。お相手は医者?」 「違うわ。といっても、病院経営に携わっているから、一応は関係者になるわね」 「なら、上条病院の行く末は安泰だな。きっとお相手は、亜紀のことを支えてくれるだろうし」  我がことのように喜ぶ嘉納の姿を目にして、亜紀は胸が痛んだ。どう返事をしていいか、分からない。曖昧な笑みで返すと、嘉納がぼそりとつぶやいた。 「できれば、俺が亜紀の隣にいたかったけどな……」  その言葉を耳にしたとき、亜紀は思わず目を閉じた。学生時代ならいざ知らず、医師として働き始めたあとも付き合いをしていれば、いずれ結婚を意識せざるを得ない状況になってくる。その前にどうにか手を打ちたかった。己が背負っているものを、背負わせたくなくて。だから、亜紀はあえて連絡を絶った。そして嘉納からの連絡も途絶えた。  今思えば、もっと良い方法があったんじゃないかと思わずにいられない。ちゃんと話し合って別れていたならば、嘉納に罪悪感を抱かせずに済んだのにと。ずっと心の奥にしまい込んでいた後悔が頭をもたげ出したが、亜紀は気を取り直す。所詮、今更だ。 「でも、そうしていたら、今のあなたはいないわ。フィラデルフィアはどう?」  連絡が途絶えた直後、嘉納はフィラデルフィアへ渡っている。研修医時代に世話になった指導医の力添えで留学し、そのまま今も働いていた。そして、そこで出会った女性と結婚したと聞いている。それを思い出し、ふとグラスを持つ左手を見ると、それを示すように結婚指輪がはめられていた。亜紀が指輪を眺めていると、嘉納が言いにくそうに話し出す。 「実は、日本に戻ることにしたんだ」 「そうなの? てっきりそのまま向こうにいると思ってた……」  指輪から視線を逸らし嘉納を見ると、都合が悪そうにしていた。嫌な予感がする。不安を抱きながら嘉納を見つめていると、思い詰めた表情でグラスに残っていた酒を飲み干していた。 「あのまま向こうにいても良かったんだが、ね」 「何か、あったの?」  亜紀が意を決して尋ねると、それまで思い詰めていた表情が一変した。そして嘉納は体の向きを変え、亜紀に笑みを向ける。 「週明けから同僚になる。よろしく、上条先生」  急に嘉納から手を差し出され、亜紀は驚きの余り目を大きくさせた。  同窓会が終わったのは、夜更けを少し過ぎた頃だった。  亜紀は友人たちと別れたあと、和明にメールを送る。すると、すぐに返事が届いたが、その内容に驚きを隠せなかった。 『すぐ、迎えに行く』  思いがけない返事が届き、亜紀は思わず隣にいる嘉納を見た。同窓会が終わったあと、二人は店のカウンター席に座って話し込んでいたのである。話の内容は、別れていた四年のあいだの出来事だ。  嘉納はフィラデルフィアに渡ったあと、そこで働く看護師と付き合いだし、間もなく結婚していた。しかし、その翌年には離婚しているという。それがもしかしたら、このたびの帰国に関係しているような気がしたけれど、嘉納は違うと言い切っていた。ならば、どのような理由なのか気になったけれど、 当人は話そうとしない。もやもやとしたものを抱えながら、世間話に興じているうちに、店の閉店時間が迫っていた。  亜紀がメールを眺めていると、 隣にいる嘉納もまたスマホを操作し始めた。しばらくそうしていると、急に嘉納が席から立ち上がり話しかけてきた。 「じゃ、俺はそろそろ帰るよ」 「え?」 「今日は会えて嬉しかった。あと、週明けからよろしくな」  優しい笑みを向けられて、亜紀もそれに笑みで返した。別れの挨拶を済ませると、嘉納は店を出ようと歩き出す。その後ろ姿を見ていると、そのとき店の格子戸がからりと開いた。店の外にいたのは和明だった。  嘉納が店を出ようとして、スーツ姿の和明の脇を通り過ぎようとした。そのとき、二人の視線がぶつかったように見えてしまい、亜紀ははっとなる。だが、二人の視線はそのまま離れ、和明が店の中に入ってきた。そして、嘉納が座っていた席に腰を下ろす。 「待たせた。悪い」  亜紀は二人の男の視線がぶつかったときのことを振り返り、隣にいる和明を見た。 「ううん、ついさっき終わったばかりだから」 「そうか。じゃあ、帰ろう」 「うん……」  きっと、今し方目にしたものは、ただの偶然だ。  亜紀は、そう自分自身に言い聞かせ、気を取り直して和明とともに店をあとにした。
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