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約束の一夜のあと

 いくつになっても忘れられない記憶というものは存在する。  たとえそのときと今と立場が変わっていても、不意にその記憶がよみがえるたびそのときの自分に戻ってしまうことがある。  あの時からもう10年の月日が過ぎた。  私は自分の唇を指先で触れてみる。  そしてあのときのことを思い返し、その感触を思い出していた。  ついに約束の日がやってくる。  あれは現実なのか夢なのか、それがわかる時が刻々と迫っていた。  あれは10年前のこと。私が18才のときだった。  私の誕生日の夜に不思議な夢を見た。  気がつくとあたりは真っ暗闇で、私ひとりだけがぽつんとそこにいた。  私以外誰もいないはずなのに自分以外の誰かがいるような気配がしてあたりを見渡してみるが、一面の闇だけが広がっている。あたりに漂う空気は温かく、花を思わせるかぐわしい香りが漂っていた。  このような状況ならば普通の女性ならば怖いと思ってしまうだろうが、不思議と怖さは感じなかった。  それどころかその闇の中が居心地がよく、まるで闇に包まれているようなそんな感じだった。  今まで味わったことのない不思議な感覚を覚えながらそのまま立っていると、突然男の声が聞こえてきた。 『サティ』  低く男らしい声が聞こえる。でもその声を頼りにその人の姿を探すけれど見当たらない。 『会いたかった、愛しい妻よ』  その響きはとても優しく嬉しさを滲ませていた。 「だれ? どこにいるの?」  私は暗闇に向かって問いかけてみるが、それに返事はなかった。  聞き間違えかと思ったが、その声ははっきりと頭に残っていて、それではないと確信できた。 『サティ、ああ愛しい妻よ。お前にはまだ私の姿が見えないのだね』  しばらくすると再びその声が聞こえてきて、悲しげなその声に胸が締め付けられた。 「ねえ、あなたは誰? サティって――――  そのとき唇に何かが触れた。  ふわりと軽やかな空気のようななにか。  でもそれには柔らかいぬくもりがあった。  だが触れたかと思った瞬間それはすぐに離れていった。 『お前がすべての記憶を取り戻すには、あと10年の月日が必要だ。そのときどのような姿であっても私だとわかるはず。寂しいがその日を待つことにしよう……』  その声がしだいに小さくなっていき、その人が離れていくようで心細さが不意に襲ってきた。 「ちょっと待って! 置いてかないで!」  だがやはりその声の主はもうそこにいないようで、なぜだか喪失感を感じた。  そしてその後涙がとめどなくあふれ、それで目が覚めたのだった。  あの夜から10年、私は28になる。  大学を卒業してから一流企業と呼ばれる会社にはいって、ひたすら努力しここまでやってきた。  同期の女性達の多くは恋人との結婚をどうしようか迷っているらしいが、そんな姿を見かけるたびにうらやましさを感じていた。私はというと気になる男性がいたとしてもその思いはかなうことがなく、この年まで男性と付き合ったことがない。  上司達から見合いを勧められたものだが、見合い当日になると必ずアクシデントに見舞われて、その話はなかったことにされていたりする。  ここまで男運がないのはどうなのだとも思うが、仕方ないものは仕方がないのだと最近では諦めていた。  そんなとき、不意にあの感触が蘇る。  唇を掠めるように触れたあの何か。  それを思い出したとき、つい自分の唇を指先で触ってみるが、あの時の感触には程遠くがっかりしている自分がいた。  そしてあの日から10年。  今夜がその約束の夜だ。  あれが現実なのか、夢なのか。  そんなことよりも、私は早くあの人の声を聞きたいと思い始めていた。  仕事を終えてすぐさまマンションの自分の部屋に戻り、体を隅々まで洗い清めた。  なぜだかその日は心が弾み、いつもはつけないボディオイルを肌に塗りつけていた。  ふわりふわりとジャスミンの香りが体温で温められて匂い立つ。  腕に鼻先を摺り寄せて嗅いでみると、甘い香りが鼻腔に広がった。  シルクのナイトドレスを身に纏い、その夜は早々にベッドに入ったのだった。 『サティ、サティ』  意識が沈み込んでいくさなか、あの男の声が聞こえてきた。 『サティ、わが妻よ!』  嬉しそうなその声にそっとまぶたを開いてみると、目の前には見知らぬ男が立っていて、嬉しそうな顔をしている。  浅黒い肌、黒い瞳、黒い長い髪の毛は高い位置で纏め上げられている。  男らしい引き締まったからだには、少しばかり隆起したたくましい筋肉がついていた。  そして豹のような毛皮を腰に巻きつけている。  彼の姿をぶしつけなまでにじろじろ眺めていると、嬉しそうな声が聞こえてきた。 『サティ、ああ。会いたかった……』 「あなたは、だれ?」  私に笑いかける男に問うと、男はゆっくりとこちらに近づいてきた。 『我が名はシャンカラ、お前と元は一つの魂だ』 「しゃんから? 日本人?」 『いいや、私もお前もただの魂ぞ。魂に種別はなかろう?』  にっこりと笑みを浮かべながら話す男の言葉が理解できない。 「あの……、あなたは私のことを妻とおっしゃっていたようですが……」 『ああ、そうだ。サティ』 「10年前あなたは再会したとき、私がすべての記憶を取り戻し、そのときどのような姿であってもあなたを、その自分の夫だとわかるはずだとおっしゃっていたようですが……」  すると目の前の男は怪訝そうな顔をする。 『まだ、思い出せないのか?』 「ええ。あなたの話を聞く限りでは縁があってここにいるようですが、私はあなたのことを何も思い出せません。10年前のこと以外は」  すると男はふむと自分のあごをつかみ考え始めた。 『ならば仕方がない。昔のようにひとつになればいい』  男はにっこりと満面の笑みを浮かべながら、私の手を取った。  その笑顔とその言葉に多少の不安を感じたが、まさかそれが当たってしまうとは思いもしなかった。  夢に現れた謎の男に手を引かれ、向かった先には一面の花畑が広がっていた。  赤・白・黄色、色とりどりの花々が咲き乱れ、その花々の香りが混ざり合いむせ返るほど甘い香りとなっていた。  男は嬉々として私の腕をつかみ、どこかへ向かっている。  私は彼のあとをついていく形で一緒にそこへ向かっていた。  花畑は延々と続き、果てがないように感じた。  そしてしばらく歩いているうちに男は立ち止まり、私を振り返る。 『サティ、そろそろつくぞ』 「あの、どこにつくというのでしょう?」 『我らが魂が一つになる場所、としか申せぬな』  優しげな笑みを浮かべる男の顔に悪意は見えず、それを信じることしかできなかった。 『さあ、もう少しぞ』 「あ、は、はい……」  再び腕をつかまれたまま、どこかへ向かい歩き始めた。 『さあ、ついたぞ』  男がそう言うと立ち止まり、後ろにいた私をいきなり抱きかかえた。 「ひっ!!」  驚きのあまり変な声が飛び出てしまい、男はそれを嬉しそうに眺めていた。 『昔と変わらぬな』 「えっ!?」 『お前は私の元へやって来た夜も、同じようにそんな声を出しておった』  男は昔を懐かしんでいるような笑みを浮かべて私を見つめている。  そのときなぜかその顔に懐かしさを感じたが、その思いはすうっと心を掠めて消え去っていった。 『サティ、思い出させてやる。私がどれほどお前を愛しているか。そしてもとはひとつだったことも。だ』  私の体を抱きかかえる腕の力を強めたのか、彼は私の体を自分に引き寄せて大事なもののように抱きしめてきた。  そのとき何かが頭の中に浮かんだ。だがそれも一瞬の閃光のようにすぐに消えていく。  だけどその腕の感触や彼の熱、そして肌から立ち上がる香り、すべてが懐かしく感じていた。  男に抱きかかえられて向かった先は、大きな東屋のような建物だった。  建物といっていいかわからないが、私の知りえる知識をいくらかき集めてもその建物を言い表せられる言葉が見当たらない。  腰ほどある台の角に朱塗りの丸い柱があって、屋根を支えている。  その台の周りには美しい彫刻が施されていた。  屋根からは薄い布がかけられていて、その中に入ると意外と広く驚いた。  台の上には真っ白な布がかけられていて、その上に色とりどりの花びらが撒き散らされていた。  男は抱きかかえた私を宝物を置くようにその上に置くと、そこの端に腰掛けた。 ――――これはもしかして寝台というやつかも……  上半身むき出しの男。  ひとつになるという謎の言葉。  そしてこの寝台。  どう考えてもやることはあれしかない。  でもこれは夢だ。  だって私の姿は寝るときに着たシルクのナイトドレスのままだったし、それに目の前の光景が現実感がなさすぎた。こんなだだっ広い花畑の真ん中にどんと置かれた寝台があって、私を妻だと言ってきかない謎の男が目の前で笑みを浮かべている。  多少の違和感こそあるが、これは夢だと思えば納得がいく。  だから私はあまり深く考えずに彼に笑顔を見せた。 『サティ、再びお前を愛でることができる喜びをどう言い表せばいいかわからぬ』  男は愛おしげに私の両頬を手のひらで包み込み、額をくっつけきた。 『もう、離れぬ。お前の体に我がしるしを残し、何度生まれ変わっても再びめぐり合えるようにする』 「え? しるし? 生まれ変わるって、何?」  男の言葉の意味が理解できずそれを問うが、男は一人で感極まっているらしくなにも返そうとしない。 『サティ、サティ。愛してる。もう二度と離れぬ』  どんどん何か嫌な予感しかしなくなりなんとか逃げようとするけれど、私の頬を包み込んでいる男の手が肩に移り、ものすごい力でつかまれていた。 「あ、あの……」 『サティ、今すぐ思い出させてやる。お前の夫である私の愛の深さを』  男はそう言うと私をきつく抱きしめ、唇を押し付けてきた。  男の唇の感触に既視感を感じた。  10年前私の唇に触れたあの感触だ。 ――――あの時、キスされていたんだ……  唇が触れ合った瞬間から本当に夢心地になっていて、朦朧とした頭でそんなことを考えていた。  すると唇に熱い何かが触れた。ぬめぬめと濡れて蠢くものは男の舌だろう。くすぐるように唇をなぞり、唇の合間に差し込まれた。  するりと口内に侵入してきた男の舌が、まるですべてを味わうように舐めていく。  そしてそれ私の舌に触れたとき、蔦のように絡み付いてきた。 「ん……」  思わず鼻から漏れた声は甘くいやらしい響きで、自分の声とは思えないほどだった。  口を大きく開かれ舌を吸われ軽く噛まれたとき、背筋からぞくぞくとした震えが駆け上ってきた。  男の息遣いが荒くなっている。  押し付けられた彼の体の熱が伝ってくる。  どんどん濃さを増す男の匂いに酔いそうになっていた。 『サティ、目を閉じて』  そのとき男の唇が離れ、そう告げられた。  私はそのとおりにまぶたを閉じる。 『いいこだ、サティ』  まるで子供にするように頬に口付けられたとき、私は浮遊感に似た感覚の中にいた。  次に気がついたとき、目の前は真っ暗闇だった。  しかもそれだけではない、手首を縛られているらしい。  見えないかららしいとしか言えないのが悲しいところだが。 『サティ、痛みはないか?』  気遣うような男の声が耳元から聞こえてきて、耳にかかった彼の呼気で体が竦む。 「あの、これっていったい、なにが―――― 『これよりインドラーニを行う、よいな?』  私の質問をさえぎるように男が告げる。その言葉には一切の迷いはない。  男はそう言うと私の背を大きな手で支えながらそこに倒し、覆いかぶさってきた。  唇や首筋に柔らかな何かが押し付けられる。  乳房の周りを何かでなぞられた。  その何かは柔らかかったり濡れていたり、熱かったりする。  見えないことがこれほど興奮するとは思わなかった。  体中を何かが這いまわり、そのたびに電流が走り痺れが全身に広がっていく。  胎の奥が徐々にほてりだし、疼きにもにたものが腰に広がっていった。  全身が徐々に熱くなり溶けそうだと感じた瞬間、膝の裏をつかまれ上体にぐっとくっつけるように持ち上げられた。  突然のことに体が大きく震えたが、不思議と怖さはなかった。 『ああ、サティのヨーニから蜜がこぼれ出そうだ……』  嬉しさを隠そうともせずに男が告げる。  空気にさらされた場所からつっと何かが滴り落ちた、そのとき。  そこに何かがあてがわれ、その熱と硬さに息をのむ。 『サティ、もし痛かったなら私の肩を噛め、いいな』 「……え?」  先ほどまでの愛撫ですっかり息があがっていて、彼の申し出にそんな言葉でしか返せなかった。  するとそれまで彼がつかんでいた手で私の腰をつかみ、ぐいと引き寄せられた。  熱く硬いものが私の中に入り込んでくる。男の切なげな声が聞こえる。そして乳房に脚がくっつきそうなほど押さえこまれると同時に、男を受け入れた場所が熱くなっていく。 「あ!!」  ひくんと奥が蠢いて、そしてすぐに体を引き裂かれるような痛みが体を貫いた。  そのあまりの痛みに体が震え、息がうまくできずにいた。 『サティ、もう少しで終わる。そうすれば我らはもう離れることはない』  荒い息遣いを繰り返しながら男が言う。  体中を駆け抜ける熱と痛みが行き場をなくし、体の内側で暴れまわっているような感じだ。  熱の塊は、私の中をこじあけるように少しずつ奥へ奥へと突き進んでいく。  やがてコツンと何かが当たったような感触を感じた。  すると男は息をつめながら何かをつぶやいている。  そのつぶやきに意識をむけると、どこか懐かしい響きだった。 『サティ、これで我らはひとつ。もう離れぬ……』  熱の塊が当たっている場所からじわじわと熱が広がっていく。  その熱は寄せては返してく波のように、私の体を覆いつくしていった。 『サティ、我が妻よ。これでインドラーニは終わった。あとは現世で――――  体の奥から発せられた熱に飲みこまれ、意識が遠のいていく。  そして男が発した言葉を最後まで聞き取れないまま、私は意識を手放していた。  その夜から数日後、私はある男と出会う。  見かけは夢の男とは違うが、一瞬でわかった。あの男だと。  そしてその男は私の身も心も縛りあげ、いとおしげに耳元で囁いた。 「もう二度と離さない。梨乃、俺の女」  その声に私は彼に唇を押し付ける。  するとあの時と同じ感触がして、彼があの男だと確信できた。  結局夢に現れた男との出来事は思い出せないままだった。  だがめぐり合った彼に抱かれるたびに不思議な感覚を味わうことになる。  懐かしく愛おしく切ない感情が心に広がっていく。  それが過去の記憶というのなら、あの夢の男の目論見は果たせたことになる。  そして彼と口付けるたびに思い返す。18のとき、28のとき、そして今。  そのキスの感触は、何年経っても変わっていなかった。
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