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別れても好きな人

 目覚めたときしっとりとした空気を感じ、雨の音が続けて耳に入ってきた。  気だるい気分をどうにかしたくて、まだ温かい布団の中で思い切り背伸びをする。体中に血液がいきわたったようで、少しずつ全ての感覚が目覚め始めた。  一人で眠るには大きすぎるダブルベッドの端のほうで眠っていた自分に今朝も呆れてしまう。  別れてもう3年になるというのに、いまだに反対側に眠っていた人のことを忘れられない自分がいて、眠るときにはベッドの真ん中にいたはずなのに、結局端っこのほうで体をまるくさせて眠っている。  いい加減忘れてしまえたら楽になれるのに、そう友人たちからも言われつづけてはいるが、忘れられないものは忘れられないのだから仕方がないだろう。ましてや嫌いで別れた相手でもなし、忘れろと言われたからといってすぐに忘れられるわけなどないではないか。  いっそ別れたときに記憶喪失にでもなって、きれいさっぱり忘れられたら楽だっただろう。  こんなことを朝から感じたのは、部屋に漂う水気を帯びた重い空気のせいだろう。  こんな朝は熱いシャワーでも浴びて、すっきりさせたいところだ。そう思ったときベッドから飛び出し、そのまま浴室に向かった。 「理玖(りく)、おはよ!」  出勤した私に気づいた同期のあずさが声をかけてきた。うりざね顔にかかる長い髪の毛を、うっとうしそうに手で払いのけながら近づいてくる。 「あずさ、おはよ。髪、ずいぶん濡れているのね」 「地下鉄の駅を間違えて降りちゃって、ダッシュできたのよ。ここまで」 「また? あなたは本当におっちょこちょいね……」 「いや、待ってよ、理玖! またってなによ!」  フロアの入り口で二人で軽口をたたきあいながらそうしていると、専務の速水がやってきた。相変わらず何を考えているかわからない男で、しかも最近はあずさの首根っこをつかみ、廊下を歩いている姿を見かけたという社員もいるようだ。どうやら新規事業の根回しをしているようで、それにあずさはつき合わされているらしい。 「おい、里見。もたもたしてないで、とっとと来い!」 「ひいいっ!」  じろりとあずさを睨み付けた専務は、そのまま彼女の腕をつかんで専務室へ向かって歩き出した。どうやら今日も彼女は専務に連れまわされるようだ。心の中でご愁傷様と唱え、その姿を眺めていると自分が所属しているグループのリーダーから声をかけられた。 「西条、こっちに来てくれ。ミーティングをはじめる」  その声に私は自分のデスクにむかった。 「ということで、今夜の接待頼んだぞ」  リーダーの武藤から突然接待への参加を言い渡されてしまい、今夜の予定が決まってしまった。特に夜の予定もなかった私は、高級料亭の料理が食べられるとばかりに浮かれていた。京懐石の老舗の料理はどんなものだろうと思うだけで、心が躍っている自分がいた。何と現金なことだろう、花より団子という年でもなし、少しばかり気恥ずかしさを感じてはいたが、それでもおいしい料理をいただけることはとてもうれしいことなのだ。 「ええ、じゃあ19時にそのお店へ向かいます。あと迎えは、私のアシスタントに任せても大丈夫ですか?」 「多少不安はあるが、取引先の社長と趣味が一緒だから、世間話には困らないはずだ。あいつに行かせても大丈夫だろう」  自分のアシスタントである加納は、大学時代からゴルフを続けていて、それが今夜の接待の相手と共通の趣味だったようだ。なら迎えに行かせても車内で世間話に困ることはないだろうと思い、加納にその旨を伝えて段取りを教えた。すると彼の口から思いがけない言葉を聞かされた。 「接待相手を迎えにいくのが初めてなので、できれば西条さんも来ていただけるとうれしいんですが……」 「はあ……」  もともと営業向きではない彼に一抹の不安を感じていたのだが、やはりそうなったかとものすごくがっかりした。二年も営業にいたら、そこそこ社交的になっていてもらいたいものだが、なかなかどうしてそうならない。これも自分の指導が悪いのかと思ってしまった。 「今回だけよ。今回しっかり覚えて、次は一人でも対応できるようになってね」  ため息交じりにそう伝えたとたん、加納は顔を綻ばせよろこんでいた。  にわか雨だったものがどんどん強くなって、午後から雷雨に変わった。机に座りながら、窓の外に広がる暗く重そうな雲を見ていると突然稲光が走った。まるで何かを予感させるような雲行きに、理由もないまま不安を感じた。 「じゃ、そろそろ行きましょうか」  仕事が終わり腕時計で時間を見るとまだ18時を過ぎたばかりで、相手の会社へ迎えに行くにはすこし早い時間だった。だけどこの雨で道路は渋滞しているはずださし、すこし早く到着しても車の中で時間をつぶせばいいことだ。そう思った私は、身支度を整えている加納に声をかけた。  加納は緊張しているのか、顔が強張ったままで、さしずめ初陣に出向く若武将といったところだろう。 「緊張しないでいいわよ、どうせ迎えにいって世間話をするだけだもの」  彼の緊張を解こうとした私は、彼に声をかけるが、聞こえていないのか加納は口をつぐんだままだ。たかだか相手を迎えにいくだけで、こんなに緊張されては困る。彼と相手の共通の話ですこし盛り上げてほしかったのだが、それは期待できそうもない。どうしたものか考えあぐねるが、こんな時間になってしまったからには、前に進むしかない。心のなかで加納に毒つきたいところだが、それをやってもどうすることもできないのだ。 「西条さん、ちょっと……」  帰り支度を始めているとき、リーダーから声をかけられた。リーダーの武藤は、加納の様子がおかしいことを心配しているようだ。じいっと加納の様子を眺めた後、武藤から告げられた言葉に私は言葉を失った。 「加納は無理そうだから、海外事業部の室長に来てもらうことにした。もうロビーに来ているから、彼と一緒に向かってくれ」 「室長、ですか?」 「ああ、千石《せんごく》室長だよ。お前の同期の」  千石《せんごく》 柾也《まさや》。  かつての恋人だった男の名を告げられ、彼と一緒に取引相手の下へ向かうよう命じられた。  そのときひときわ激しい雷鳴が、ビルの外から聞こえた。  田崎コンサルティング本社は渋谷の街の一角にあるビルの中にあって、もともとは海外への投資をメインにしていたようだ。  だが、それだけでなく創業者の一族のもともとの家業である輸入業にも手を広げ、その足がかりとなる生活雑貨の輸入や卸業務をおこなうようになった。その業務を取り仕切るのが海外事業部で、彼はそこの企画室の室長となっていた。  彼のいる海外事業部は横浜にあるから、特につながりがなければ、ほぼ彼と会うこともなかった、はずだった。何の因果か今回の接待で顔を合わせることになるなど、誰が予想できただろう。考えてみれば同じ会社にいるのだから、顔を合わせないでいられるわけなどなかった。  だけど、できることならずっと顔をあわせないでいられたらよかったのにと、自分は思っていて、再会のときが突然やってきたことで私の心は掻き乱れていた。  本社ビルの一階へ向かうと、見慣れた男がロビーにいた。受付の案内をしている若い女性に囲まれたかつての恋人の姿に、なぜだか彼が自分の手が届かない男のように見えてしまう。  3年という月日は、自分を臆病にしていたのかもしれない。一応肩書きだけなら、彼と同等の立場にいるというのに、どこか彼の姿がまぶしく見えた。 「千石室長、お待たせしました」  自分を奮い立たせ、彼に言葉をかけると、それまで女性たちと話していた彼がこちらに振り向いてきた。そのとき、彼がふと微笑んだように見えたのは、気のせいだろうか。どこか昔を懐かしむような視線を感じたが、それを感じないふりをして彼のもとへ近づく。 「久しぶり、西条さん。元気だった?」 「ええ、あなたも相変わらず女性にもてもてのようで何よりですこと」 「それ嫌味? 彼女たちからしたらただのおっさんだよ、俺は」 「最近はそんなおっさんが、渋くていいっていう若い女性もいますから……」  向かい合って微笑みあいながら話をしている私たちは、元恋人になど見えないだろう。さしずめ仲のいい同期同士、そんなところだろうか。内心は激しく動揺しているというのに、必死でそれを抑え続けていて、久しぶりに向かい合った彼の顔をあまり見ないようにしていた。  瞳をあわせてしまえば、何かがあふれてしまいそうだった。まだ彼を愛していたし、でもそんなものなど「今更」以外何者でもない。3年前より大人の貫禄を感じさせる彼の姿に、私は圧倒されてもいた。 「そうかなあ、そんな俺を振り払って仕事を選んだ女もいたんだぞ?」 「へえ……。それだけその方にとって、自分の仕事が魅力的だったんじゃないですか?」  自分のことを言っていることなどわかっているのに、さもそ知らぬ顔で会話を続けていた。しばらく沈黙が流れ、気まずさを感じたとき、彼から声をかけてきた。 「さあ、そろそろ向かおうか。早く行かないと渋滞に巻き込まれるから」  その声に、私はようやく彼の顔を見上げた。3年前に比べると、幾分がシャープな顔立ちになっていて、いかに彼が厳しい立場にいるか伺えた。もともと精悍だった顔が厳しさを増していて、その顔に笑顔でもなければとても近づくことができない雰囲気さえ纏っていた。 「そうね、行きましょう。遅れたら厄介だわ」  そう答えると、彼の後に続いて、迎えの車へ向かって歩き出した。  結果として接待は失敗といえるのかもしれない。もともと期待していた相手の担当課が、業績が伸び悩み廃止になるということを社長自ら教えてくれて、そこで今回の事業は白紙に戻ることになった。  頭を下げ続ける相手の会社の社長たち、おそらく彼らも必死で事業を継続させたかったのだろう。だが寄る時勢は厳しく、そのままその担当課を存続させることすら相当厳しかったようだ。  ひとしきり食事を済ませ、帰りは別の人間が彼らを送ることになった。料亭に取り残された私と彼は、その門の前で立ち、走り去る車を眺めていた。 「理玖」  いきなり自分の名を呼ばれ、そのとき心臓が大きく跳ねた。素に戻りかけていた自分は、突然の出来事に戸惑うばかりで、彼にどう接していいか困り果ててしまう。もうそんな風に名前を呼ばれることなどないとさえ考えていたのだから。 「なんでしょう、千石室長」 「こういうことって結構あるのか? 一緒に業務を進めていた相手先の担当課がいきなりつぶれることは」 「さあ、私も初めてのことで、どうしたものか……」  脈打つ心臓の鼓動を感じそれを抑えるのに必死になっていて、この動揺が彼に気づかれないようにするだけで精一杯だ。どうか気づかれていませんようにと祈りにも似たものが頭をよぎり、とにかく一刻も早く彼のそばから離れたかった。 「私たちも帰りましょう、千石室長」  立ちすくむ彼に声をかけて、その場を離れようとする。すると彼が独り言のような言葉をかけてきた。 「飲みにいかないか。せっかく再会したことだし」  彼の声とその言葉に、私は動けなくなって、断る理由もないままうなづいていた。  彼と一緒に雨上がりの街を歩く。星が見えない夜、二人何も言葉を交わすことなく歩き続けていると、彼が唐突に話しかけてきた。 「俺が知ってる店でいいか?」  彼の知っている店はそう多くない。もともと一人で飲み歩く男でもなかったし、酒に強い男でもない。おそらくあの店だろう、そんなことを思い軽く返事を返したあと、およそ3年ぶりにその店に向かっていた。 「考えてみれば、こうやって二人で出歩くこともあまりなかったような気がする。昔は、さ」 「そうね、一緒に外で食事をとったこともあまりなかったわね。いつも会うときは私の家にあなたが来ていたし」 「理玖に甘えていたのかな、今思うと」 「え?」 「お前といると気持ちが楽になれたんだよ……」  過去形で話し続ける彼に、自分たちの関係がすでに過去のものになっていることを思い知らされた。  3年まえ、彼はポルトガルへ駐在することが決まり、そのとき私にプロポーズをしたのだが、そのときの自分は仕事が楽しくて仕方がなかったときだった。  だから彼の妻となって、一緒にポルトガルへは行けないと彼に話したとき、私たちの関係はそこで終わりを告げた。  昨年彼が日本に帰国したことを聞いたとき、本社(ここ)から離れた海外事業部の本部に勤務している彼と、顔を合わせることのないよう願い続けていた。それは当然まだ彼への捨てきれぬ思いが残っているからだ。ひとたび顔をあわせてしまえば、否が応でも3年前の苦い思いと、それまで一緒にすごした記憶がよみがってしまうだろう。それを私はずっと恐れていたのだ。もしそれがよみがえってしまえば、私は立ち上がれなくなるかもしれない。弱い自分を認めたくないばかりに、それからずっと目をそらし続けていたのだ。 「あのころは楽しかったな……」 「そうね……」  昔を懐かしむ彼と、昔を振り返りたくない自分がいて、そのまま二人で店までの道のりを歩いていた。 「千石さん? 久しぶりですね、いつ日本に?」  その店に入るなり、そこのマスターは驚いた顔で彼を見つめていた。この店に通い始めたのは、もう5年も昔のことだ。彼が会社の飲み会が終わった後たまたまこの店に入り、店のマスターとかなり盛り上がったようで、その後私を伴い仕事帰りに立ち寄るようになっていた。だからマスターは私のことも覚えているし、この店で二人がどんな別れ方をしたのか全て知っている。そんな店を選んだ彼を一瞬恨んだものだが、でもこの店は私と彼の思い出の場所のひとつになっていた。 「光さん、ひさしぶり。去年こっちにやっと帰ってこれたよ」 「それに理玖さんも、お久しぶりです。お元気でした?」 「お久しぶりです。ずっと来てなくて、突然来ちゃってごめんなさい……」 「突然の友人の来訪はうれしい限りです。今日はずっと雨が降っているから客人も来る様子もないし、このまま店を閉めようかって思ってたんですよ」  穏やかに微笑むマスターの顔は3年前と少しも変わっていなかった。むしろ私と彼の関係が変わってしまって、それに気を遣っているマスターに申し訳なさを感じてしまう。私と彼はカウンター席に腰掛け、それぞれの酒を頼んだ。彼はスコッチウイスキー、私はカクテルを。それに応えたマスターがそれぞれの手前にグラスを置いて、私たちのそばから少し離れた。 「まずは乾杯。3年ぶりの再会を祝して」  私が手にしたカクテルグラスに、彼が自分のロックグラスを重ねる。チンと硬い澄んだ音が聞こえ、そのグラスに注がれた赤い酒がかすかに揺らめく。その酒を口に含むとレモンの酸味とほのかな甘さを感じた。 「マスター、これなんていうカクテル? レモネードみたい……」 「アメリカン・レモネードっていうカクテルです。だから理玖さんのそれ、正解」  ふふと笑いこちらを眺めているマスターに笑みを返すと、隣で酒を飲んでいた彼がポツリとこぼした。 「こうしていると昔を思い出すな……」  彼の言葉に何もいえないまま、昔のことばかり思い出してしまい、胸が締め付けられるように痛み出した。あのころは、何も不安など感じていなかった。手を伸ばせばいつもそばに彼がいて、求めれば彼はそれに応えてくれていた。  なのに、私は彼が自分を求めたときそれを拒んでしまった。しかも仕事を言い訳にして。そのときの私は、恋人から夫婦になったときの二人の姿を想像できなかったし、しようともしなかった。ただ自分のことだけを考えていただけだったのだ。相手に責任を持たないままの気楽な恋人関係だけを求めていた自分に気づいたのは、彼が自分との関係を解消し、ポルトガルへ旅立ったあとのことだった。 「私は子供だったのだと思うときがあるの」 「ん?」 「ずっと後悔していたの、別れたこと。あなたからのプロポーズを受け入れなかったことを」  自分の秘めていた気持ちが口から素直に出たのは、きっと飲んでいた酒のせいだ。それを隠れ蓑にしたずるい自分は、それを免罪符のようにとらえ、ずっと抱えていた気持ちを吐き出した。もう終わった話なのだ、彼の中では過去の話になっているのだから。抱えていた思いを口にするたび、どんどん気持ちが楽になってきた。  だがそんな自分に比べ、彼のほうはどんどん苦しそうな顔をして。なぜ、そんな苦しそうな顔を浮かべているのか、ふと気になってしまった。 「理玖、俺さーーーー 「はい、ここまで! もうこの話は終わり! ごめん、へんなことを言って。過去は過去。過ぎた話をしちゃってごめん!」  彼の言葉をさえぎるように、勢いよく言葉をつむぐ。彼の表情から、彼が言いかけた言葉が私にとっていい話ではないと感じたからだ。酒と雰囲気に流され、口にした言葉に後悔した。もう時間は元に戻ることなどないのだ。二人はもう二度と恋人に戻ることはないし、彼のプロポーズを受けなかったことを後悔していると今更言ったところで、なにも起ることはないのだ。 「帰りましょう、明日も仕事なのだし……」  気がつくと、早くその場から逃げ出してしまいたいと思っていた。 「雨もすっかり上がったようだし、歩いて帰ろうか」  店を出た後、彼がそういいながら私の前を歩きだした。  雨上がりの暗い夜空を見上げると、ちらちらと瞬く星が見える。この夜で彼への思いを振り切ろうと、その星を眺めながら考えていた。 「やっぱり東京は星が見えないな……」 「え?」 「ポルトガルにいたとき、ポンタ・ダ・ピエダーデっていうところに連れて行かれたことがあってさ。そこで今まで見たことがないほど美しい星空を見たんだ。ああいうのを満天の星空って言うんだろうなあ」  前を歩いている彼の突然の言葉に、私はやはり何もいえないまま聞くことだけしかできないでいた。彼が何を言おうとしているのかなど、当然知る由もない。ただ黙って彼の話を聞いていると、前を歩いていた彼が足を止めた。それに気づかずに歩いていた私は、彼の背中にぶつかってしまう。 「いった……」 「理玖、一緒にそこに星を見に行かないか?」 「へ?」  彼の背中から体を離し、ぶつかった鼻の頭をなでていると、彼の口から予想しなかった言葉が飛び出した。その言葉の中にある「そこ」は一体どこを指しているのかすぐにわからなかった私は、彼の言葉を思い返す。 「星? そこに? どうして?」 「俺、いま二度目のプロポーズしてるんだけど、まだ気づいていないのか……」 「えっ? ちょっと、待って! なによ、その言い方……」 「あのな、一度断られた相手にプロポーズしなおすのって、結構勇気がいるんだぜ?」  背中を向けたままの彼が、言いにくそうに話す。その表情はわからないけれど、きっと顔を真っ赤にしているに違いない。だって最初のプロポーズがそうだった。顔を真っ赤にした彼が、ポケットから指輪を取り出し、私の目を見つめながらその言葉を告げたのだ。 「俺の妻になって、ずっとそばで笑っていてほしいんだ」  二度目のプロポーズの言葉は、最初のプロポーズと同じ言葉だった。 「で、どうなんだ。だめならだめって言ってくれ。このまま自棄酒飲みにいくから……」  後姿ではっきりわかるほど頭をたれている彼の姿に、私は思わず吹き出しそうになってた。自然に体が動き、彼の背中に抱きつく。それに驚いたのか、彼が体を大きく震わせて、そのまま身じろぎひとつもせずに固まっていた。 「馬鹿ね……」 「へっ?」 「ずっと後悔してたって言ったでしょ? 察しなさいよ……」 「はっきり答えてくれなきゃ、馬鹿な俺はわからんよ……。で、どうする? 俺と結婚するのか? しないのか? 今度こそいい返事をくれよ……」  ぶっきらぼうに話す彼の体に回した腕の力を強め、私は返事をした。 「あなたと、結婚したい。柾也、いつかその星空を私に見せて頂戴」  彼は私の言葉に、こう返してくれた。 「約束する。必ず二人で見に行こう……」  彼から二度目のプロポーズを受けた後、私と彼は歩きながらいろんな話をした。  彼が向かったポルトガルでの面白い話や、私が受け持ってきたとんでもない後輩のことなど、とにかく他愛もない話をし続けていた。 「3年って、あっという間に感じるけど、こうやって話を聞くと、いろんなことがあったんだな……」 「たしかにそうね、意外に結構長いのかも」  二人でそんなことを話しながら、顔を合わせては笑いあっていた。  そうしているうちに、私の住んでいるマンションの前に到着し、彼は名残惜しげに別れの挨拶をする。その姿に胸が痛み、とっさに腕を伸ばしていた。 「理玖?」 「もう、離れたくない、の……」  ありったけの勇気を振り絞り、その一言を口にしながら彼の体に抱きついた。彼の背広の感触が頬に伝わる。痛いほど締め付けられた胸の痛みは、全身に広がり、甘い痺れに変わっていた。 「俺も、もう、理玖を離したくない」 「柾也……」  少体を離した柾也は、そのまま顔を近づけて、私に三年ぶりのキスをした。 「おい、このベッドって……」  私の部屋に入った瞬間、柾也の目に飛び込んだのはベッドのようだ。当然彼だって見覚えのあるベッドで、それを見た彼があきれたような顔をした。 「3年の間、処分しなかったのかよ……」 「だって、寝心地がいいのよ、そのベッド。それに……」 「ん?」 「そのベッドじゃなきゃ、もう眠れないの。あなたが使っていたものだし、未練がましいのは重々わかっていたけど、それでも捨てられなかったの」  彼の顔をまともに見れず、顔をそらしたまま話していると、寝室の入り口で立ち尽くしていたはずの彼が背後から抱きしめてきた。 「ちょ、ちょっと! なに? え?」 「理玖……」  熱がこもった彼の声に、自分を求めているのだと悟る。彼の体の熱さを感じ、それに包まれていることで、どんどん心が満たされた。 「柾也……」  彼の名を呼ぶと、それに応えるように私のうなじに唇を寄せ、何度もそこにキスをしはじめた。唇が触れるたび、全身の肌が粟立つ。体のラインをなぞるような手つきにさえ、私の体は震えていた。どうしようもないほどの焦燥感に駆られ、どこか探るような彼の手の動きにじれったさを感じていた。 「ね、ねえ。ベッド、ベッドに……。柾也っ!」  初めのころは遠慮がちだった彼の手の動きが、少しずつ性急なものにかわりはじめた。着ていた服を脱がすことなく、まさぐるように私の感じるところを全てさらけ出していく。  その指先にどんどん体の感覚が目覚めさせられていく。まるで3年前のときのように、私は彼の指に翻弄され続けた。  次第に何も考えられなくなって、体の内側にこもりだした熱に、じりじりとあぶられる様な感覚を覚えた。  突然膝が崩れ、倒れそうになる。腰に回された彼の腕に支えられ、そのまま腕に抱えられた。私を腕に抱えた彼は、ベッドに向かい私をそこに寝かせると、着ていたシャツを乱暴に脱ぎ始めた。朦朧としている意識の中彼の顔を見上げると、熱に浮かされたような彼の顔が見えた。その顔は3年前と同じ顔で、それを目にしたとき、えもいわれぬほどの衝動を感じた。 「理玖、好きだ。ずっと忘れられなかった……」  想いを吐き出すような彼の言葉に、思わず涙ぐむ。自分もずっと彼を忘れられず、このベッドで一人泣いていたことを思い出した。 「私もね、ずっと忘れられなかったの。ずっと好きだったの、柾也……」  彼の首に腕をまわすと、彼は私の着ていたものを脱がし始めた。すでにさきほどの愛撫ではだけていたブラウスを取り除かれて、するするとスカートも脱がし、下着だけの姿になった私を、彼はじっと見つめていた。 「ぜんぜん変わってないな……。3年前とおんなじ……」 「やだ、あんまり見ないで……」 「見なきゃどこが感じる部分か思い出せないだろ? もしかしたら感じる部分が増えているかもしれないし……」 「え?」 「理玖の体のことは全部覚えてる。どこを触れば気持ちいいか、どこを突けば啼くのか、全部……」  耳元で低い声で囁かれ、そのかすれた声に体が一気に熱くなった。 「全部覚えてる、今でも、だ」  そう囁いた後耳に息を吹きかけられて、それに身を竦ませる。彼の生暖かい舌が耳に差し込まれ、嬲るように舐めあげてきた。乳房を大きな手で包まれて、ゆっくりと焦らすように揉み始める。こみあげてくる欲望にのみこまれそうになるが、決定的なものをあたえられないままで、息苦しさを感じ始めた。 「柾也……、苦しい……。もうっ……」  一番触れて欲しいところがうずき出して、身をよじって沸き起こる官能を逃がそうとする。だがそんなものなどすでに意味などなくて、彼の体の熱を皮膚で感じそれを欲していた。 「理玖、一番触って欲しいとこ、どこだっけ?」 「え?」 「どこ、触ってほしい? どんな風にさわってほしいの?」  彼の熱っぽい声と、吐き出される荒い息遣いを耳にしたとき、私のなけなしの理性ががらがらと崩れ始めた。恥ずかしい言葉を言うようにねだられ、それを言おうとするのだが、口が思うように動かない。言葉にできない代わりに、彼の体に足をからめると、彼は自分の硬いものをそこに押し付けてきた。 「理玖、もうすっかり濡れて……。ぐちゅぐちゅって音聞こえるだろ?」 「いやぁ……っ」 「俺を受け入れてくれているからこんなに濡れているんだろ? ん?」 「あああっ……」  ひときわ強い力で押し付けられて、自分の体のなかで一番敏感になっている場所がぐりっと押しつぶされた。その瞬間電流が体を貫いたような感覚が走り、それに驚いた私は彼の体にしがみついた。 「ね、もうっ。お願い、お願い柾也っ……」 「理玖、俺ももう限界。苛めてごめん……」  硬く熱いものが自分の体を貫いたとき、ものすごい圧迫感を感じた。突き上げる彼の動きに、どこまでも追い詰められていく。切なさに似たものが体中を駆け回り、彼を受け入れた場所からどんどんこみ上げてきたものは、ようやくひとつになれたという満足感だった。 「好き、柾也っ……。イくっ……」  体中が一気にこわばり、全ての意識がそこに集まる。彼の体の熱を感じながら、高見に上り詰めていった。自分が弾け飛んだような感覚が広がり、次第にそれは緩やかなものに変わる。 「愛してるよ、理玖……。もう離さない……」  頭の中に霞がかかり始めたとき、彼の声が聞こえた。  好きなまま別れた柾也と再会し、その後一緒に暮らすことになって、互いに忙しい身ではあったけれど。それなりに幸せな生活を送っていた。  桜の季節に同期のあずさが突然の結婚をしたあと、柾也と一緒にポルトガルへ向かい、彼が話していた満天の星空を見にその場所へ向かう。 「まるで星が降ってくるような気がするくらい綺麗だから」  彼から聞かされたその言葉を胸にそのときを待った。  夜の帳がおりて、少しずつ星が瞬き始めた。そしてようやく彼が話していたとおりの満天の星空が広がった。まるでプラネタリウムで見た天の川が全天にかかっているような星空に思わず息をのむ。 「な? 綺麗だろ?」 「ええ、すごく……。綺麗……」 「いつか、子供を連れてまたここに来よう……」  柾也の言葉を耳にした私は、そっと自分のおなかに手を当てる。いつかこの体に宿る命のことを想う。 「そうね、家族でまたこの星空を見に来ましょうね……」  私と彼はその星空を飽きもせずに、いつまでも見上げていた。
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