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蝶々と百合

 最悪最低。社会のゴミにキスされるなんて。  私は眉間にしわを刻んで、コンビニで買い物をしていた。カップメン、栄養ドリンク、ストッキング……カゴに品物をどんどん放り込んで行く。まだあの男、真野蝶次の唇の感触が残っている気がした。こすりたいが、口紅がはげてしまう。家まで我慢だ。  レジに向かった私の脇を、カップルが通り過ぎていく。男の方はいかにもチャラそうで、女の子は真面目そうだ。もしかして遊ばれてるのかしら……人ごとながらそんなことを思っていたら、 「夏樹、ほうじ茶プリン買おうぜ」 「一個312円もするじゃないですか。自分でお金出してくださいね、先輩」  男が唇を尖らせた。図体に似合わない子供じみた表情だ。 「ドケチ女」 「プリンくらい作ってあげますから」 「ふつーのじゃなくてほうじ茶のがいいんだよ」 「ほうじ茶飲みながらプリン食べればいいじゃないですか」 「なんだよそれ。せせこましい」  女の子が目を細めて彼を見た。 「先輩の髪を切ってあげてるのは誰でしたっけ」 「おまえが切りたがるんだろ、練習するとか言って」  二人は言い合いしながらレジへと向かった。私はぼうっとそれを見送ったあと、買い物カゴをカウンターに置いた。  会計を終えてコンビニを出たら、先ほどの二人が歩いていくのが見えた。やっぱり言い合いをしている。彼は向かってきた自転車を見て、女の子の肩を抱き寄せた。  赤くなった女の子と手を繋ぎ、そのまま歩いて行く。  女の子を見る彼は、優しい顔をしていた。どうやら、遊ばれてるわけじゃないみたいだ。 「……いいな」  私はそう呟き、ハッとした。いいな、じゃない。人を羨んでどうするのだ。そう、私は好きで一人でいるのだから……。  昔から、弁護士になるために、必死に勉強してきた。母子家庭だったのもあるだろうが、母はとても厳しい人だった。 「誰にも頼らずに生きていけるようになりなさい」  母はよくそう言った。結果、私はなんでも一人でこなせるようにと思ってやってきた。中学時代はがり勉と呼ばれ、内申をあげるためならなんでもするごますり屋だと煙たがられ、高校時代は部活にも入らず勉強ばかりしていたせいで友人ができなかった。とっくに過ぎたことなのに、思い返すと胃のあたりがずん、と重くなる。  大学時代、気になっている先輩がいた。三橋裕也。優しくて、物腰が柔らかくて、誰からも好かれる。私とはまるで逆。たまに図書館で一緒になる、それだけの関係だったが、私は彼が好きだった。 「鏡ってなんかかっこいいよな」  先輩はそう言った。 「他の女の子とはなんか違うっていうか」  なんか違う。それはいい意味ではないのだろうなと思った。 「私、嫌われるんです。冷たい感じだって。勉強ばっかりしていて、人とあまり関わってこなかったから」 「弁護士になりたいんだから、勉強するのは当たり前だろ」  彼は私の手を握って言った。 「俺、鏡のこと好きだよ」  一度も異性に好きだと言われたことのない女が、そんなことを言われたら、コロッといかないわけがなかった。 「俺と付き合ってくれる?」  心臓が跳ねて、どくどく鳴り出す。先輩の目が見られなくて、私は目を伏せた。 「どうしたの?」 「か、からかってるんですよね」 「違うって、本気だよ」  先輩は私の方に身を乗り出し、額に口付けた。 「っ」  私はびくりとして目を閉じた。もはや、口から心臓が飛び出しそうになっている。先輩は私の髪を撫でながら囁く。 「ねえ、今日さ、ダーツバーいかない?」 「だ、ダーツバー?」 「え……」 「俺、ダーツ部なんだよ。彼女作ったって自慢したいから」 「部外者なのに、いいんですか?」 「大丈夫、女の子少ないしさ、華やかになるから」  じゃあ7時にね。彼はそう言って去っていった。私なんかが行って華やかになるんだろうか。でも、これは変わるチャンスなのだと思った。先輩に少しでも近づきたかった。  おしゃれな服なんて持っていなかったから、慌てて近所の服屋に飛び込んだ。  普段なら絶対に着ないシフォンのワンピースを着て、私はダーツバーへ向かった。先輩は私を見て、マジできたよ、と笑った。 「ほらほら、おまえら金払えよ」 「まじで、こいつに騙される女まだいたんだ」 「法学部では有名なクソヤリチンなのに」  私は彼らのやりとりをを聞いて、目の前がだんだん暗くなるのを感じていた。きんきんと耳鳴りがして、足が震えた。 「ごめーん、俺彼女いるからさあ。がり勉ちゃんとは付き合えないわ」  私はダーツの矢を手にし、渾身の力を込めて三橋に投げつけた。彼は慌てて矢を避け、 「うおっ! なんだよ!」  私は二本目のダーツを投げつけ、「死ね」と言い放った。他人に死ねなんて言ったのも、こんなに悲しくて腹が立ったのも、生きてきて初めてのことだった。  泣きながら電車に乗り込んだ私は、網棚に置いてある少女漫画雑誌に目を留めた。高校時代、同級生たちが買っていた雑誌だ。 「こんなところに……」  私は雑誌を手に取り、パラパラとめくった。漫画を読むのは、母親に禁止されていた。頭が悪くなるから、というのが理由だった。クラスの女の子たちが回し読みしているのを先生に告げて、チクリ魔と呼ばれたこともある。  ああ、嫌なことばかり思い出してしまう。  そう思っていた私は、漫画をめくってハッとした。「ウソカレ」のヒーロー、マツダくん。そのルックスが、三橋先輩にそっくりだったのだ。  性格がよくて、爽やかで、シャイで、主人公以外には目もくれない。  私は本屋に駆け込んで、ウソカレの単行本を買った。  理想の王子様は少女漫画にしかいないのだ。私の王子様は、この世には存在しない。二次元のみに生きているのだ。  ☆  カップメンを啜りながらテレビを見る。テレビには、当世流行りのチャラチャラした俳優が出ていた。目元のほくろを見たら、真野蝶次を思い出してイラついてしまう。顔のいい男に、ろくなやつはいないのだ。  私は壁にかけられたダーツの的に、紙を貼り付けた。的にはもう一枚紙が貼り付けてあり、一方には三橋裕也、もう一方には真野蝶次と書かれている。  私はダーツを構え、的に向かって投げた。  矢は真野蝶次の方に当たる。少しだけ溜飲が下がった。 「よし、寝よう」  私は布団にもぐりこんだ。今日は疲れた。早く寝てしまえ。枕の下には、雑誌の付録でついてきたマツダくんのポストカードを忍ばせていた。彼の夢を見られたらいいな……  ★  翌日は朝から雨だった。雨は帰宅時間になっても降り止まず、私は傘を差して帰途についた。片手には資料の入った紙袋がある。バシャンッ。水が跳ねて、私のスーツにシミができた。 「!」  通過した車が、ブレーキ音をたてて止まる。車から降りてきた男を見て、私はギョッとした。 「っ真野蝶次!」 「ああ、先生」  こんにちは。真野蝶次はそう言ってにこりと笑った。相変わらずうさんくさい男だ。目が笑ってないし。私は無言でスカートを指差した。 「おや大変だ」 「大変だ、じゃないわよ。雨の日に歩行者を見たら徐行しなさい」 「よく見えなかったんだ。先生、地味なスーツ着てるから」  地味で悪かったわね。弁護士が派手なスーツを着てどうするのだ。 「そのままじゃまずいな。送るから乗って」 「結構よ」  顔をそらして歩き出したら、蝶次がついてきた。 「そう言わずに」 「いいって言ってるじゃない」  私は腕を掴んできた蝶次の手を振り払った。爪が彼のほほをかする。 「あっ」  慌ててそこに手を伸ばした。 「ごめんなさい」 「大丈夫。どうせなら他のとこを引っ掻いて欲しかったけど」 「何を訳のわからないことを」  蝶次のほほに、傷は付いていないようだった。私が内心ホッとしていると、彼が口を開いた。 「それ、いいの?」  私は蝶次の視線を追った。紙袋に水がかかり、ポタポタと滴っている。 「!!!」 「なにか入ってるんじゃない?」 「資料よ! ああっ、早く帰って乾かさなきゃ!」  私が歯噛みしていたら、蝶次が車のドアに指をかけた。 「俺の家、ここから近いですよ」  私は無言で車に乗り込んだ。  ☆  蝶次の自宅は、いわゆる高級マンションだった。ヤクザのくせに、警備つきマンションを買うなんておこがましい。エントランスを抜け、エレベーターに乗り込む。 「随分といい家に住んでるのね」  私が皮肉めいた口調で言ったら、蝶次が首を傾げた。 「そうかな。普通じゃないですか?」  しらばっくれて。ヤクザらしく、普段から善良な市民を脅かして金を稼いでいるのだろう。ここにいるだけで不快感が湧き上がってくる。早く書類を乾かして帰ろう。 「ドライヤー貸してくれる?」 「洗面所にあるのでどうぞ」  私は洗面所に向かい、紙袋から書類を取り出した。少し湿っているが、文字がにじんだりはしていない。ああ、よかった。私はドライヤーで書類を乾かして、スカートの染み抜きをした。書類を持って洗面所を出た私は、リビングへ向かう。 「真野さん、何か袋を貸してくれない?」  ドアを開けたら、蝶次の背中が目に入った。彼が半裸だったので、私はギョッとして動きを止める。背中から腕にかけてあるのは、蝶と牡丹の入れ墨だ。この男はやっぱりヤクザなのだ……。  私が固まっていると、蝶次がこちらを振り向いた。彼は口元を緩め、 「乾かせました?」 「え、ええ……」  なんて格好をしているのよ、この男は。私は目をそらしながら言った。 「な、なにか袋を貸してくれない? 書類をいれたいの」 「ええ、いいですよ」 「その前に服を着なさいよ」 「気になるから?」 「見苦しいから」  蝶次がひどいな、と言って笑った。彼はソファにかけてあったシャツに腕を通し、 「女の子は蝶とか花とか好きだから、結構綺麗だって言ってくれますよ」 「蝶なんて蛾と同じじゃないの」 「たしかに、ほとんど違いはないらしいですね」 「私、虫は嫌いなの。花も匂いが強いから好きじゃない」 「恭子先生は花に例えると何かな」  蝶次は袋を手にしながら言った。 「やっぱり薔薇?」 「たとえなくていいわ。じゃあ」  私は蝶次から袋をひったくり、玄関に向かってさっさと歩き出した。靴を履こうとして、びくりと足を止める。靴の中に、蜘蛛がいたのだ。蝶次が後ろから声をかけてくる。 「どうかしました?」 「……あなた、ちゃんと掃除してるの?」  私が蜘蛛を指差すと、蝶次がああ、とつぶやいた。 「外から入ってきたんでしょう」  蝶次が靴をひっくり返すと、蜘蛛がぽとりと落ちた。そのまま潰そうとしたので、慌てて止めた。 「ちょっ、殺したらダメ」 「え?」 「祟られるから!」  蝶次はキョトンとしたあと笑い出した。 「祟りって、いま平成ですよ?」 「……」  私はかあっと赤くなった。生き物をけして殺してはいけない。母にそう言い含められていたのだ。蜘蛛はカサカサ動いて下駄箱の下に隠れる。私は蜘蛛が出てこないかびくびくしながら靴を履いた。蝶次は目を細めてこちらを見ている。 「蜘蛛が嫌いだなんてかわいいですね」 「……足がたくさんあるものは基本的に嫌いなの」 「足が二本でよかった」  蝶次はそう言って、ああそうだ、とスマホを取り出した。 「アシダカ軍曹って知ってますか?」 「軍曹? 誰」 「これです」  蝶次が向けてきたスマホの画面を見て、私は悲鳴をあげた。  ☆ 「あの腹黒ヤクザ!」  私は真野蝶次の名前めがけてダーツを投げた。見事命中する。ぜいはあと息を吐いた私は、ぶるっと身体を震わせた。あれからあのイキモノの残像が消えない。昨日の晩は、うなされてロクに眠れなかった。マツダくんのポストカードの効果もなかった。  青ざめている私を、蝶次は楽しそうに見ていた。あの顔を思い出すと、本当に腹がたつ。 「今度あったらタダじゃおかないわ……」  私は握りこぶしを作って、そうつぶやいた。  仕事場へ向かうと、事務の女の子が寄ってきた。 「先生、お花が届いてます」 「え?」  彼女は百合の花束を渡してきた。 「すごく綺麗。依頼人の方からでしょうか」  依頼人がわざわざ花を贈ってきたりするだろうか。 「差出人はわからないの?」 「あ、こちらにカードが」  差し出されたカードを開き、私はギョッとした。 「先生に似合うと思った花です」  名前が書かれていなくてもわかる。なぜなら、傍らにはアシダカ軍曹のイラストが……。 「真野蝶次……」  私はカードをぐしゃりと握りつぶした。  仕事を早めに切り上げた私は、百合の花束を持って、蝶次の事務所へと向かった。階段をかけあがり、バン、と扉を開けたら、ソファから立ち上がりかけていた蝶次がこちらを見た。彼はいつも通りに緩く笑い、 「おや、先生、こんにちは。今から出かけるところなんだけど」 「用事はすぐ済むわ」  私はつかつか蝶次の方へ歩いて行き、ばさりと花束を机に載せる。 「これはなに」 「百合の花束ですね」  いけしゃあしゃあと。 「わざわざこんなもの送りつけてくるなんて嫌がらせなの? 大体なによこの絵は」 「アシダカ軍曹ですよ。わからなかった?」 「わかるわよ。なんのつもりか聞いてるの」 「先生と仲良くなりたくて」 「はあ?」 「ダメかな」  昨日の一連が仲良くなりたい行動なのか。信じられない。 「私はあなたと関わりたいと思わないわ」 「残念だ」 「とにかく、花は返却するから」  私が踵を返そうとしたら、蝶次が声をかけてきた。 「先生、本当は花好きでしょう?」 「は?」 「雨に濡れて、透けて見えたブラジャーが花柄だった」 「……!」  私は自分の身体をかばった。 「このっ、黙ってるなんて最低だわ!」 「先生だって俺の裸を見たんだから一緒でしょう?」 「あなたの裸なんか見たくなかったわよ」 「将来また見るかも」 「絶対ありえないわ」 「賭けますか?」 「私は賭け事なんてしない」 「自信がないんだ」  私は肩を揺らし、振り向きざまに蝶次を睨みつけた。蝶次はまったく怯まずに、笑みを浮かべている。 「先生が俺を好きになったら負け。俺は先生を好きなようにできる」 「じゃあ好きにならなかったら事務所を畳みなさい」 「いいですよ」  どれだけ自分に自信があるのだ、この男は。私がヤクザなど好きになるわけがないのに。蝶次は私に手を差し出し、 「じゃあ握手」 「なんの握手よ」 「賭けの成立を確かめるためです」  私は眉をしかめ、真野蝶次の手を思いっきり握りしめた。
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