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出会い

 昔のことはあまり覚えていない。ただ、母親がいつも泣いていた記憶はあった。 「あんたなんか、産まなきゃ良かった」  俺は何も言わずに、折り紙を折っていた。蝶の形の折り紙。母親が買い物に行くと言って出かけたあとも、俺は黙々と蝶を作っていた。結局母親は、それ以来二度と帰ってこなかった。  事務所の入り口には、「井の頭建設」と書かれた看板が下げられている。多少裏社会を知っている人間が見れば、それがヤクザの持つ事務所だとわかっただろう。ただ、うちの事務所はひっそりとしているし、ドンパチをやらかしたこともない。  映画やなんかじゃ派手に立ち回ったり好き勝手に振舞ってるように描かれるが、ヤクザっていうのは、世間的には日陰ものだ。  そしてまさにいま、世間からの冷たい風を受けている。  アイスティーに入っている氷が、からんと音をたてる。  事務所の中、俺と向かい合って座る男が、額を拭きながら口を開いた。まだ五月なのに、ひどく汗をかいていた。大丈夫だろうか。人ごとなのにそう思う。 「あのですねえ、最近うちの社長が変わりまして。ヤクザさんには事務所をお貸しできないってことなんですよ」  俺は穏やかな声で尋ねた。 「つまりここを──出てけってことかな」 「はあ」  困った顔でこちらを見た汗かき男は、横に座っている女に目をやった。女──グレーのスーツを、すらりとした身体にまとった眼鏡の女性だ。胸元には弁護士バッチが光っている。彼女は平静な瞳でこちらを見て、 「ヤクザに関われば不動産会社も不利益を被るんです。ご存知でしょう?  #真野蝶次__まのちょうじ__#さん」  ひどく冷たい声で言った。なかなか美人だが、どうやらヤクザが嫌いらしい。残念である。 「三ない運動とやらかな」  たしか、「暴力団を利用しない」「暴力団を恐れない」「暴力団に金を出さない」だったか。 「ええ。こちらとしては、警察に通報しないだけ良心的だと思ってもらいたいわ」  実際ヤクザが集っているだけで警察に処罰することはできないが、確かに警察沙汰は避けたい。探られても平気だと言えるほど、まっとうな人生は送っていない。 「いきなりそんなことを言われても困るな」  俺はソファの後ろに控えている二人の舎弟、#稲荷__いなり__#と#虎彦__とらひこ__#を見上げた。 「俺ひとりの問題でもないし。なあ?」  稲荷は無表情で頷き、虎彦は吠える。 「そうっすよ! ずっとここでやってきたのにいきなりどけとかひどいっす」  彼女は狂犬病の犬でも眺めるかのように、虎彦をじっと見た。なにを吠えてるのかしらこの犬は。そんな顔だ。虎彦がひるむ。 「な、なんすか」 「何かここを立退けない理由でも?」 「何か、って?」  俺が尋ねると、女弁護士が真顔でこう言った。 「誰かの死体でも埋まってるのかと思った」  なんと。俺は思わず噴き出す。彼女が眉根を寄せてこちらを見た。 「なにがおかしいの?」 「いや、映画じゃあるまいし……わざわざこんなとこに埋めたりしませんよ」 「へえ、そう。本当だったら立退くのを待つまでもなかったのに」  彼女はそう言って、俺に書類を突きつけた。 「来週までに許諾サインをして。真野蝶次さん」  書類には立ち退きの要件がずらずら書かれている。製作者の欄には、「#鏡恭子__かがみきょうこ__#というサインが入っていた。 「美人は字も綺麗だな」 「くだらないお世辞は結構。一週間後に書類をいただけない場合、こちらにも考えがありますから。──行きましょう、石原さん」  恭子は立ち上がり、出入り口へと向かった。石原と呼ばれた不動産屋も続く。 「恭子って、俺の母親と同じ名前だな」  俺がそういうと、恭子が振り向いた。 「なに?」 「なんとなく運命を感じるな、と思って」  稲荷は無表情のまま、虎彦がギョッとした顔でこちらを見てきた。  鏡恭子はこれ以上ないくらい眉間にしわを寄せ、 「あなた、バカなの?」  そう言った。  ☆ 「なんなんすかねー、あの弁護士」  虎彦はラーメンをすすり、唇をとがらせた。 「偉そーっていうか、女王様タイプっていうか」 「兄さんがああいう女性に興味があるとは」  稲荷はきつねうどんをすすりながら言う。俺はというと、蕎麦を食べていた。そういえば、三人とも同じものを頼んだことがない。 「なかなか美人だっただろう? スタイルもいいし」 「でも絶対タカビーっすよ。俺たちみたいな高卒とかすげー見下してそう」 「弁護士ですしね」  稲荷と虎彦が頷きあう。俺は余った汁をすすり、 「このままだと現実問題まずい。こんなことで揉めたなんて上に知られるわけにもいかないし、なんとか懐柔しなけりゃならないだろう?」 「つまり──あのセンセを落とすんですか?」 「えっ、あの女王様を?」  稲荷と虎彦が目を丸くした。虎彦が事務所にやってきてだいぶ経つせいなのか、この二人、だんだん動きが似てきている。 「彼女、蕎麦は好きじゃないだろうな」  俺はそう言って、携帯を取り出した。「弁護士、鏡恭子」で検索してみる。あった。 「デルタス法律事務所に所属してるみたいだ」 「あっ、よく広告打ってるでかい弁護士事務所ですよね」  色々検索していくと、ツイッターのアカウントがヒットした。プロフィール画像はデフォルトだ。 「ツイッターをやってるんだな」 「なんかお堅い話してますねえ。暴力団が社会に与える悪影響……こんなこと書いて嫌がらせとかされないんすかね」 「こっちは鍵アカウントか」  恭子の別アカウントには鍵がかかっていて閲覧できない。俺は目を細め、鍵のマークを指で叩いた。  ☆  五月ともなればスーツでは暑いな。俺は上着を脱ぎ、シャツの袖をまくった。あまりあげすぎると入れ墨が見えてしまう。  腕時計に目を落とす。もうそろそろ昼時である。長針が5をすぎると、昼食をとるため、人々がデルタス法律事務所からぞろぞろと出てきた。──あ、いた。俺はこちらへ歩いてきた恭子に声をかける。 「こんにちは」  恭子は怪訝な目でこちらを見た。 「あなた……」 「真野蝶次です。これからお昼ですか?」 「ええ」  彼女はそう相槌を打って、歩き出した。俺は恭子のあとについて歩く。 「一緒にいいかな」 「まさか。ヤクザと関わりがあるなんて思われたくないわ」  恭子はさっさと足を進めるが、リーチの差ですぐに追いついてしまった。 信号が点滅しだしたのに、彼女は足を止めようとしない。おいおい。恭子の腕を掴み、 「赤ですよ?」 「触らないで」  眼鏡ごしにこちらをにらみつけてくる。俺は彼女の髪に指を絡め、 「綺麗な髪ですね」  恭子は腹を立てた猫のように、俺の手を振り払った。 「あなた、ヤクザというよりホストみたいね。どうせ、女を食い物にして生きてるんでしょう?」 「どうかな。好きだと言ってくれる子には優しくしてるけど」 「挙句に捨てるんでしょう」 「言いがかりだ。捨てられたことがあるんですか、先生?」 「私はヤクザなんかとは関わりを持たないから」  恭子は忌ま忌ましそうな口調で言う。 「高校生の女の子がヤクザに貢いで、ひどい生活をしてた。薬で身体がぼろぼろになって、死ぬところだったのよ。やっとで手を切らせても、その子はまだ入院してる。全くヤクザなんていうのは社会のゴミだわ」 「なかなか過激な発言だな」  俺はそう返し、スマホを取り出した。 「少女まんがが大好きなら、もっと優しい言い方をしないとヒロインになれませんよ」  恭子が固まって、ばっ、と俺を見た。俺はにこ、と笑い、恭子にスマホを向けた。 「今はニセカレって漫画にハマってるんだって?」 「っな!」  恭子は俺からスマホを奪い取った。 「なんで、鍵アカは限られた人しか……!」 「うちの稲荷、ああ見えて女系家族でね。妹さんが「ニセカレ」を読んでたらしい。昨日申請したら通ったって」  怜悧な顔が徐々に赤くなっていく。 「っ……だからなに? 私が少女まんがを読んだらいけないの」 「いや、俺は可愛らしい趣味だと思うけど、隠してたってことは、先生は恥ずかしいと思ってるのかな? って」 「なにをいけしゃあしゃあと、ブロックしてやる!」 「今までのログは保存したから無駄だと思うよ」  恭子はぎりぎりと歯噛みして、俺を睨みつけてきた。 「あなた、なにがしたいの」 「とりあえず信号を渡りましょうよ」  俺は恭子の肩を抱いた。彼女は俺の手を払いのけ、さっさと歩きだした。  ☆  恭子はコンビニで買ったおにぎりを、公園のベンチで黙々と食べた。俺はじっとそれを眺める。彼女は不機嫌な顔でこちらを見た。 「なに」 「美人なのに眉間のシワがすごいなと思って」 「ふん。私を籠絡して今回の件を逃れようとでもしてるの?」  彼女はおにぎりに勢いよくかぶりつき、キッ、とこちらを睨みつけた。唇にのりがついている。 「私はヤクザなんかに転んだりしないわ」 「海苔がついてますよ」  俺は指を伸ばし、恭子の唇に触れた。恭子がびくりと肩を揺らし、俺の手を叩き落とす。 「触らないで」 「痛いな。たたかなくても」  恭子はウエットティッシュで唇を拭い、すっくと立ち上がった。こちらを例の冷たい目で見下ろし、 「ヤクザの事務所なんかこの世界から消えればいいのよ。そうすれば世の中がすっきりする」  さっさと歩いて行った。俺はすらりとした後ろ姿が、公園から出ていくのを見送る。ふと見ると、指先に少しだけリップがついていた。俺はそれをなめ取り、 「さて……どうするかな」  ☆  事務所に戻った俺は、顧問弁護士に電話をかけた。なぜか、ヤクザには弁護士がつきものなのだ。非合法な集団なのに弁護士に頼るというのも妙だが。電話に出た弁護士に、 「ええ、期限は一週間後なんです。はい、お願いします」  そう言った俺は電話を切り、椅子にもたれた。スマホを開くと、すでにこちらのアカウントはブロックされていた。思わず苦笑していたら、稲荷が紅茶を運んできた。 「兄さん、首尾はどうですか」 「とりあえず恭子を動けなくする必要があるから、弁護士同士で話し合ってもらうことにした」 「なるほど。蛇の道は蛇ですね?」 「どういう意味っすか?」  今日のしのぎを計算していた虎彦が尋ねてくる。 「その道のプロに任せるのがいいってことですよ」 「なるほどー。稲荷さん頭いいっすね!」 「こないだテレビで言っていました」  部下二人ののんきな会話を聞きながら、俺は恭子の鍵アカウントのログを眺めていた。恭子はまるで女子校生のようにはしゃいでいる。  ニセカレ、最高! マツダ君かっこいい~こんな王子さまみたいなひと、現実にはいないよね。  マツダくんとは主人公の相手役らしい。 「王子さまねえ」  ここは日本だから王子さまはいないはずなのだが──鏡恭子はああ見えて夢見がちなタイプなのだろうか? ある記述に目を止め、俺は瞳を瞬いた。  3日後、鏡恭子が憮然とした顔で事務所に現れた。俺は彼女を出迎え、ソファに座らせた。 「すいませんね、紅茶は出せない。いま稲荷が出てるもんで。インスタントコーヒーでいい?」  恭子が答えようとしないので、首を傾げてみせる。 「どうかしました?」 「どうかしましたじゃないわよ。ヤクザのくせに、弁護士を使うなんて」 「ああ、うちの先生優秀でしょう?」  俺は微笑んだ。 「優秀? ヤクザの顧問弁護士なんかになる時点で最低だわ」  それはそうかもしれない。 「とにかく、これで事務所をうつらなくてすんでよかった」 「……ほんとうに腹がたつ」 「すいませんね、先生」  俺は恭子に近づいて行った。つるに手をかけて、彼女の眼鏡をひょい、と外す。恭子が唇を動かす前に、彼女の唇を塞いだ。 「……!」  恭子はびくりと肩を揺らし、俺を押しのけた。 「なにするの!」 「え? 先生書いてたじゃないですか。「不意打ちのキスが素敵」って」  恭子はわなわなと唇を震わせる。 「それは、フィクションよ、マツダくんだからいいのよ、ヤクザなんかにされて嬉しいわけがないでしょう!」  もっと怒りくるうかと思ったのだが、恭子はひどく狼狽しているようだ。 「あれ、もしかして初めてだったんですか、先生」 「っそんなわけ、ないでしょう」  恭子の目が泳いでいる。白い肌がさっと色づいた。どうやら図星だったようだ。外見からはまるで想像できない反応に、俺は思わず笑った。 「あんた、かわいいね」 「うるさい、ヤクザ。キスは強姦罪なのよ。訴えてやるから」 「まさか、クールな恭子先生は、キス程度でむきになったりはしないでしょう?」  俺が顔を近づけたら、恭子が唇を押さえて後ずさった。俺がくく、と笑ったら、彼女は素早く眼鏡を奪い返し、唇を手の甲でごしごしこすった。俺に指を突きつけ、 「勝ったと思わないでよ、ヤクザがのさばる世の中なんて、もうすぐ終わるんだから」  そう言って部屋から出て行き、ドアを思い切りよく閉めた。
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