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すれ違う二人-5

「本当なら、私とエルキュール様の結婚も許可が下りるのに時間がかかるはずだったんじゃないかしら……いくら昔から話が決まっていたとはいえ……」  これまでほとんど気にしてはこなかったが、貴族同士の婚姻、それも王家に連なる公爵家の人間との結婚がこれほど容易に進むのは異例とも言える。 「なにもかも、わからないことだらけね」  多少強引な形だったにせよ、イリスとエルキュールは晴れて夫婦となったのだ。  だがその実感はイリスの中にはなく、またエルキュールも先日会った時と変わらないような気がした。二年前の彼よりも少し髪が伸びたが、それ以外はなにも変わらない。 「変わらないのは、いいことなのよね……」 「お嬢様?」  ぽつりと呟いたイリスに、ベルが心配そうに顔を覗きこんできた。だが彼女はすぐに自分の口元を押さえ、今し方発した言葉を謝罪した。 「も、申し訳ありません! 今はもう、お嬢様とお呼びしてはいけないのに……」 「いいのよ。私もまだ、実感なんてないし――このお屋敷は広いけれど、どこに何があるかもまだわからないもの」  エルキュールは好きに見て歩けと言ったし、カルドンにしろベルたちにしろ屋敷の中の案内を頼んで拒まれることはないだろう。イリスは大きな明かり取りの窓から見える景色を見て、ふっと息を吐いた。 「広いお部屋ね。伯爵家の私の部屋より、ずっと大きいわ。調度品も可愛いし……これ、カルドンが選んでくれたのかしら」 「あのおじいさまが? どうでしょう……私が先ほど他の使用人の方に聞いた時は、他の部屋はほとんど手が入れられていないと言っていました。奥様のお部屋だけが真新しい調度品で揃えられているということは、公爵様がお選びになったのでは?」  アナスターシャは細い顎に手を当てて、イリスが腰掛けている椅子やテーブルをじっと観察し始めた。商家の三女であるアナスターシャは、こうした調度品や美術品を見分ける審美眼に優れている。 「あら、これは……奥様、こちらは西国――カデルジャン王国製の椅子ですわ。ヴィテンブリト王国にはあまりで回っていない品なので、輸入商から買い付けなければいけないのですけれど……」 「カデルジャン王国?」  海を挟んだ向こう側の国の名前は、イリスもよく知っていた。  国交はあるものの、二つの国の間にある海峡はとても潮の流れが速く、腕利きの船乗りであっても乗り越えることは困難であるらしい。迂回路を通った通商が続いているが、そのせいもあってカデルジャン王国からの輸入品はどれも高価だ。 「それも、傷が一つもありません。一級品ですわ……さすがエングランツ公爵家といったところでしょうか。この花瓶やティーカップ一つ見ても、王室御用達の品々ばかり……」  アナスターシャが感嘆のため息を漏らすと、そうしたことには疎いはずのベルも驚いたようにそっとテーブルを撫でた。  海の向こうから取り寄せたというこの調度品の数々は、もしかして本当にイリスだけのために揃えられたものなのだろうか。 (でも、これも……贈らなければよかったって言われたら、どうしよう)  不満げなエルキュールの声が、脳裏に蘇る。あそこでイリスが、なんの問題もないと言えばそれだけでよかったのかもしれない。現に彼から贈られたドレスは、イリスにとっても着心地がいいものだった。胸の辺りが締めつけられてしまうのは仕方がないものと思っていたが、まさか彼があんな表情を見せるなど思っても見なかったのだ。 「エルキュール様……」  愛しい、今では夫となった人の名前。長く待ち焦がれた彼との結婚生活は、思い描いていたよりもずっと静かで、少し寂しいものだった。 「エルキュール様は、やっぱり私を煩わしいと思っているかしら。お忙しい時期に、突然押しかけてきてしまったみたいだもの」 「そんなことはありません! 大体、結婚の申し入れをしてきたのは公爵家の方です。それに奥様はずっと、旦那様の許嫁だったではありませんか。お二人が婚姻を結ぶのは当然のことです」  ベルがさも当然だと胸を張るが、イリスはそれにどこか寂しげな笑顔を浮かべただけだった。今まで伯爵家の一人娘として、誰からも慈しまれて育ってきた――そんなイリスが、一人でこの大きな屋敷に嫁いできたのだ。  気心の知れた侍女たちの動向を許してくれたのは、エルキュールからせめてもの気遣いであったのかもしれない。
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