6 / 28

公爵の帰還-3

 母に不作法だと怒られようが今だけは許してほしい。ベルの慌て方を見るに、エルキュールになにかとんでもないことが起こったのは真実であるのだろう。 「お父様……!」 「おお、イリス……ベルが呼んできてくれたんだね」  額に脂汗を掻いた父は、何度もハンカチでそれを拭いながら冷たい水を飲み干した。執事もどことなく顔色が悪く、芽吹いた不安はどんどんつのっていく。 「王宮で一体なにがあったのですか?」  父に尋ねる声は、少しだけ震えていた。  それでもイリスはまっすぐ見据えた視線を父から逸らさず、次の言葉を待った。  伯爵は迷うように何度か口を開閉させてから、深く息を吐き出す。それから、ゆっくりと事の詳細を話し始めた。 「よく聞きなさい、イリス。エングランツ公爵は無事だ……体には一つの傷もなく、姿は二年前とほとんど変わりはなかった」 「で、では一体何が……病や怪我でないというのなら、どうしてお父様はあんなに慌ててお帰りになったのですか?」  想像していたエルキュール負傷の知らせではなかったことに、ひとまずイリスは息を吐いた。だが、だとすればここまで父が憔悴する理由というのはなんなのだろう。  馬車から降りた時の父は、まるで悪魔か怪物でも見たかのような慌てっぷりだった。貴族院の議員も務めている父がここまで憔悴する様は、実の娘であるイリスですら見たことはない。 「それが……国王陛下が公爵に余暇を取らせるとおっしゃったのだ。二年間の疲れを癒せと屋敷を与えられたのだが――よりにもよって、王都郊外のダムアル邸を下賜なされた……」  伯爵はがっくりと肩を落として、首を横に振った。  だがイリスにはその意味がよくわからない。国王から屋敷を賜るだなんて、臣である貴族としては願ってもないことだ。  それに、王都にあるというのならばさぞかし立派な建物なのだろう。 「褒賞としてお城を頂いたの? ならどうしてそんな……」 「ダムアル邸は、今は住む者がない無人の屋敷なんだ。様式も古く、決してエングランツ公爵のような方が住まうところではない。……国王陛下は、従兄である公爵を事実上幽閉することを決めたんだよ」 「幽閉!? なぜですか、お父様!」  父の口から飛び出した信じられない言葉に、イリスは思わず目を見開いた。  内乱を抑え、国王の威光を僻地にまで知らしめたエルキュールは、讃えられることはあっても貶められることなどないはずだ。  それにエルキュールは国王の従兄でもある。若くして即位した従弟を陰に日向に支えてきた公爵を幽閉するだなんて、国王は一体なにを考えているのだろうか。 「陛下のお心は、私のような臣下に推し量ることはできない……だが、国民人気の高い公爵を中央に置くことを、宰相や他の貴族たちがよく思わなかったとも考えられる」  神妙な面持ちで俯いた父に、イリスは言葉を失った。  詳しい政について、この国で女性が知らされることはほとんどない。それでもエルキュールが国王自らの手によって幽閉されるという事実は、鉛のように重く彼女の心にのしかかった。 「……では、私との婚約はどうなるのです?」 「そこまでは私も聞くことはできなかった。――だが、公爵から手紙を預かってきているよ。これを、お前にと」  そう言うと、父は懐から一通の手紙を取り出した。  捺された赤い封蝋は、確かにエングランツ公爵家の紋章である。公爵はこれを従者に持たせ、目立たないところで父に渡してくれたらしい。 「開けてみなさい」  しっかり通された封蝋を剥がし、なめらかな手触りの便せんを開く。流れるような筆致で書かれていた手紙は、まさしくエルキュール本人がしたためたものであった。 「どうして、エルキュール様……」  手紙を読んだイリスの口からは、そんな言葉がこぼれ落ちた。
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!