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触れる体温-4

 もくもくと食べ進めた林檎からは、甘酸っぱい果汁が溢れてくる。一つ食べ終わればまた一つ目の前に突き出されるので、イリスは結局林檎半分ほどを食べることになった。 「こ、子供じゃないんですよ、エルキュール様……!」  指先を拭いながらそう抗議するイリスだったが、先ほどから胸の奥が鈍く痛み続けている。彼にこうして果物を食べさせてもらうのは、初めてのことではない。まだイリスが今よりも幼かった時も、エルキュールはこうしてイリスの目の前に果物を差し出してくれたのだ。 「わかっているとも。なにせ大切な俺の妻だ」  茶化した口調でそう言うが、彼の態度はまるで小さな子供に向かう時のものだ。  彼にそう言う態度を取られると、やはり自分は一人の女性としては見られていないのだと痛感する。 「体調が悪いと聞いていたが、熱もなさそうだな? 食欲もある――となれば原因は、俺か」  果実を剥いたナイフを片付けたエルキュールが、イリスの隣へ腰を下ろす。  それまで彼女がたった一人で眠っていたベッドは、二人分の体重を受け止めてきしりと音を立てた。 「ち、ちが――」 「ベルからすごい目で見られたぞ。あれは正直だな」  明かりの落ちた部屋の中、エルキュールの深緑の瞳が僅かに細められた。  そんな彼の様子に、イリスはハッとしてその腕を掴む。  ベルはまっすぐな子だ。嘘をつくことも得意ではないし、むしろなにを考えているかはとてもわかりやすい。そんな彼女が、エルキュールを睨みつけたのだというのだから、これは叱責を免れないだろう。 「違うのです、エルキュール様。ベルはなにも……私が、勝手に一人で悩んで、それで……っ」 「落ち着くんだ、イリス。別に俺はあの侍女を叱り飛ばすつもりもなければ、折檻を行うつもりもない」  ベルはなにも悪くないと顔色を変えて縋りつくイリスに、エルキュールはことさら優しい声を出して彼女を宥めた。 「私が、エルキュール様の優しさに甘えてしまったから……あなたが私を妻として見ることができないのは、十分を分かっているのです」 「君が――なんだって? 話の脈略がないぞ」  イリスがぽつぽつとこぼしだした言葉に、エルキュールは訳が分からないと眉をひそめた。イリスの肩に手を置き。彼はどうしたのかともう一度彼女に問う。 「俺が君を、妻として見ることができないだと? 誰に言われた――カルドンか? 他の使用人か」  問いただすエルキュールの声は、地を這うように低かった。  普段は落ち着いていて、感情の揺らぎも少ない瞳が鋭い光を宿す。 「だ、だれも……誰も私にそんなことは、言いません。でも、気付いたんです」  エルキュールがふと一瞬見せた表情は、イリスの背筋が凍るほど冷たいものだった。けれど今の彼の言葉ぶりでは、カルドンや使用人たちが罰せられてしまう。彼らはむしろ、ふさぎ込んでいる自分を気に掛けてくれているのだ。  イリスは震えそうになる体を必死に叱咤して、エルキュールの表情を見上げた。 「気付いた?」 「エルキュール様はお優しい方です。こんなに年の離れた――妹のような私を、ずっと婚約者としておそばに置いてくださいました」 「……当たり前だろう。それがエングランツ公爵家と、パードフォード伯爵家で交わされた約定だ。それに俺は――」  焦ったように、エルキュールの瞳が揺れた。  普段は決して見ることのできないようなその表情に、イリスは申し訳ないような気持ちになった。 「俺は君を妹だと思ったことなど、一度もありはしない」  それは胸を締めつけるような、苦しげな声だった。  ギリ、と唇をかみしめたエルキュールの表情に目を丸くしていたイリスだったが、次の瞬間その視界はぐるりと反転する。一瞬なにがあったのか理解をすることができず、ベッドの上に転がされていると気がついたのはそれからまた少し経ってからだ。 「エルキュール様……?」 「そうか。そういえばこうして――君の肌に触れることもなかった」  エルキュールの指が、ふわりとイリスの頬を撫でた。  きしりと音を立ててベッドが軋むが、彼女に覆い被さるエルキュールの表情は影になってよく見えない。口調は優しかったが、彼がなにを考えているのかがイリスにはわからなかった。 「なに、を」 「君の方こそ、俺が夫だと思えていないんじゃないのか、イリス」  甘く優しく、彼はイリスの耳元でそう囁いた。耳朶に吐息がかかる独特の感覚に、イリスはふるりと身を震わせる。 「そ、そんな……エルキュール様は私の旦那様、で」 「ああそうか、それとも君はもう忘れてしまったのかな? あれだけ狂おしく、君が俺の手で乱れてくれたことを。あの時の君はとても可愛らしかったが」  エルキュールは、イリスの話などまるで聞いていないようだった。  つ、と彼の指先が頬から首筋を撫でる。体の線をなぞるようにドレスに包まれた肩を露出させ、簡単に服の装飾を取り払ってしまった。 「や――エルキュール様、やめっ……!」 「君は、結婚前に聞いたはずだ。俺と結婚するということは、こうして俺と閨を共にするということだと」  閨という言葉の響きに、顔に熱が集まった。  思い出されるのは、王都にあるエングランツ公爵邸でのあの出来事だ。  あの日、イリスは彼の指先によって淫らに高められ、とんでもない姿を彼の前にさらしてしまった。思い出すだに羞恥で震えが止まらなくなってしまう。 「違います……忘れてなんて、いません」 「ならどうして、自分が俺の妹だなんて言えるんだ? 俺が、埃まみれの土地でどれだけ――」  そこまで言ってから、エルキュールははっとして口をつぐんだ。なにか言いたげな彼の表情を仰ぎ見るが、それ以上を彼は口にしない。  代わりに視線を落としたエルキュールは、再びイリスのドレスを脱がせにかかったようだ。贈答品のリボンを解くようにイリスの体からドレスを脱がせ、ゆっくりとその裸体を外気に晒していく。 「俺の妻になりたいと言ったのは、君だ。俺はその言葉を忘れるつもりもないし、今更なかったことになどしない」  熱い唇が、さらけ出された肌に触れる。ひんやりとした夜の空気で冷えてしまったイリスの体が、その場所からじんわりと熱くなっていくのを感じた。 「ぁ……っ」  暗がりの中で、触れられる場所はひどく敏感になっているようだった。  彼が唇で触れる薄い腹や、確かめるように絡む指――それらが皮膚の上をなぞるたびに、イリスの体はぞくぞくとした痺れが走った。
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