25 / 55

第25話

・・・・・  ロッカーに勝負ヒールを置いてあると言ったら、「勇ましいね」と鼻で笑われたことがある。まだ入社して2年やそこらだったけど、あの瞬間の上司の顔はたぶん一生忘れない。  私は本来営業に向いてない。そんなことわかってる。  だけど、任された仕事なら、やるならとことんやらなきゃ気が済まない。女だからなんて言わせない。言わせたくない。 「うーん……」  だから正直、目の前で印を押すのに渋っている高田若社長を前に内心のイライラは止まらなかった。  高田印刷。佐野班からまわってきた仕事。  前社長が会長となり、前専務が若社長となった一族運営の印刷所だ。会長が特に年を召しすぎたとか病気だとかではなく、35になる可愛い息子を早めに社長の席に座らせて勉強させたいんだそうだ。ちなみに初孫も生まれたらしい。 (……最近似たような話をきいてるから、なんか他人事とは思えないな…)  それにしても長い。  唸ったり首をかしげたりをくりかえしている若社長は、あと印を押すだけという書類になかなか手を伸ばしてくれない。 「…前のあの、佐野さんだっけ?彼はもう来ないんだよね?」  しかも、口を開けばこうだ。  若社長とこうして直接のやり取りを交わすようになって、3回目。  どうやらこの高田若社長と佐野は随分と気が合っていたらしく―――というかおそらく、若社長が一方的に佐野の事を気に入っていたらしく、担当が変わった旨を報告した際は数分固まっていた。  見るからに気の弱そうな若社長は、年下で強気そうな、しかも仕事も出来る佐野を憧れの目で見ていたのかもしれない。 「ええ。……若社長が残念に思ってらしたことは、佐野にも伝えておきます」 (だから早くそこに印を押せっての。でないと会社帰れないんだけど……)  正した背筋と笑顔で本心を隠し、私は続ける。  ―――周くんが我が社の社長(仮)になったと言われてから、早10日が経った。  高田印刷の案件が意外なまでに難航しているのと、佐野班も忙しさを極めていることから、周くんとあれから1度もまともに会えてない。  顔を見られるのは出社日の朝だけ。表向きの、挨拶だけ。ちょこちょこメッセはやりとりするけど、もともとお互い電話派。忙しくなれば連絡が滞るのは仕方ない事だった。 (仕方ない……ことなんだけど……)  大きな案件を抱えた佐野班の内勤面ヘルプもしているから、わかる。佐野はもちろんだけど、周くんだって今相当忙しい。会社ではいつも涼しい顔してる佐野だって、今朝は疲れが見てとれた。  その上周くんは社長業も兼任してる。多忙とかいう言葉じゃ片付けられない事になってるはずだ。  秘書課とのやりとりはすべてあの聡彦が行っていると聞いた。どうやら系列会社の専務だったらしいけど、休職してこっちに来てるんだとか。私には内情まで知らないから、うちの社ではどんな扱いになってるかは知らない。社長の兄弟であることは間違いないし、なんとかしてどうにかしてるんだろう。 (……会いたいなあ……)  声も聞きたいし、「大朏さん」じゃなくて「琴乃さん」って呼ばれたい。  四ノ宮くんじゃなくて「周くん」に会いたい。 「いやぁ…大朏さんも非常に優秀だから安心してくださいと、佐野さんからも言われてはいるんですけれども…」 「……えっ?」  考え事してたら若社長の言葉を聞き逃しかけた。若社長は少しおどろいたようにふくよかな図体を跳ねさせる。  いけないいけない。今は仕事中。……だけど。 「……佐野がそのようなことを?」 「ほら、大朏さん引継ぎの挨拶に来てくれたじゃない?あの朝にお電話いただいて」 「そう…なんですか」 「アッそうだ、内密にって言われてたんだった。でもいいよね、悪口言ってたわけじゃないんだし。同じ社の人間を悪く言うわけないけど」 「ええ、まあ……」 「大学も同じ同期なんでしょ?時々はきいたことあったんだよね。出来る同期がいると刺激になっていい仕事が出来るって」 「……初耳です」  どうにか平静を装いながら、若社長の話に首を縦に振る。  ひとしきり佐野の話をし終えた若社長は、「だからね」と続けた。 「大朏さんの仕事ぶりについては安心していいと、私は思ってる。でもやっぱりほら、稀にだけど体力的に厳しい仕事ふったりもするから。何せ印刷所でしょう。無理通そうとする顧客もいてね。そういう時にフォロー回ってもらったことも何度もあるから」 (あー……そういうことか)  語尾がまごついている若社長が、何を言いたいかわかってきた。  私は改めて背筋を伸ばして、自分でも褒めたいくらいの笑顔を作る。 「安心してください。学生時代から体力にも自信ありますから」 「……本当に?」 「ええ。そういった話も、佐野がしておいてくれたら助かったんですけど」  若社長のハハハという豪快な笑い声が応接室に響いた。  今日の仕事はこれで終われる。確信を持ちながらも、この人にどんな顔をして私の話なんてしてたんだろうと、ふと佐野のことを思った。
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!