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〈第一章・16〉

 千秋さんが生きてきた十九年は、そう……きっと長かったのでしょうけれども、それよりも私は、長い長い年月を体験して参りましたの。    うふふ。    乞食のむすめに、男爵さまだなんて。    あははは、月と銭亀みっつ分くらい違うかしらん。    あのひとは私がみじめなお仕事を終えて、品も、情もないおとん――嘘つくんじゃねぇよ、拾い子だろ――と別れて……。    あらごめんなさいね、ヤサ――何て言ったらいいのかしらん。  そうそう、ねぐらに着くまで見張っていたと、あとで本人から聞きました。   『お疲れさま』  汚い教会の中に、柔らかい声が響いて。  私はびっくりして飛び起きました。 『どなたさまですか。すかんぴんなもんで、あいにく明かりも持ちません』    もう眠たくって仕方がなかったのですけれど、返事くらいはしないといけないかと思い直して、こわごわ……本当にこわごわだったのですよ。  虚勢を張ったのです、私は。  上等な革靴は「そのまま、そのまま」と、明かりとりの窓を開けようとした私の手を止めました。 『今朝、偶然雑踏の中から君を見つけてしまって、それからずっと見ていた。なんと美しい娘かと感嘆してしまった』 『はァ、それで。あちきはくたくたですけども』  すぐにうんざりして、返事をしたのに後悔しました。 「とっととてめぇのヤサに帰ぇんなッ!」  と吠えたそうです。  いやですねぇ、育ちが悪いもので。  正直な話、私はもうこのあたりのくだりは忘れてしまいました。    いつかあのひとに思い出話として語られたままこうして語っております。  それでも、お貴族さまに物乞いじゃあ、清流に油交じりのドブ水のようですね。  混ざり合うことなんて永劫(えいごう)にないこと。  あってはならないこと。 『また来るよ』  そこからが私とあのひとの――はじまりだったのでございます。
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