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〈第一章・12〉

「ユキの薬も、モドリの薬も、私は飲みません」 「ユキの薬? そんな名前があるんですね」 「おや、胡蝶蘭さまからお聞きでないの?」 「――あの人は僕をいたぶって遊ぶことしか考えていませんからね。仕事に必要なことも、面倒くさがってたいして教えてくれません」  口を尖らせると、彼女は忍び笑いをした。 「お気の毒さま。もっと近くへいらっしゃい」    たおやかな指先が僕を(いざな)う。 「はい」と首肯し、一度立ち上がって、彼女の掛けている向かい側の長椅子へ座った。  健康診断で一度もひっかかったことがない僕には、縁の薄い風景。  診療所(サナトリウム)というのは、こんな感じだろうか。 「新入りさんがいらっしゃるなんて、どのくらいぶりかしら」 「へえ、壁も床も打ちっぱなしですか。家具も調度もないんですね」  薄暗がりに、ボウと浮かび上がる(かす)かな灯火。  影が不規則にゆらめくのが少し不気味だ。  胡蝶蘭や牡丹の使用しているきらびやかな部屋とは全然違っている。  こんなに綺麗で艶やかな花姫が暮らしているというには、不似合な部屋だ。  失礼だと思いつつ、その言葉が思わず口をつく。 「あら、野暮天でいらっしゃいますこと」  姫桜がクスリと笑う。  すぐに頭を下げたが、いくら頭を下げたって彼女には見えないのだ。 「すみませんでした」 「ふふ、目が見えないから、家具なんて邪魔なだけですわ」 「なるほど、確かに」 「明かりだって、お客さんがいらしたときだけ使うんです。お仕事の最中だけ明かりをつけるなんて――他の花姫さまとはあべこべでございます。ふふ。あら、もうお酒がない」  姫桜は白木の丸いテーブルの上に載っていた、桜色の模様が入った美麗なガラスを手に首を傾けた。
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