14 / 125

〈第一章・10〉

「慣れません。僕は環境に適応する能力がそれほど高くないんですよ」 「おや。おやおや、おや。それは大変、大変だ」 「こんなおかしな場所に、そんなに簡単に慣れたら逆にすごいと思いますけど。だいたい、ここは知らないことばかりだし」  先刻見てしまった牡丹の姿を、思い出すまいと医師から目をそらした。 「君は世界の全てを知らなくては息もね、息も出来ないのかい?」 「そ、そんなこと……。全部を知るなんて、とんでもない。無理です」  医師に首を振って、手にしていたままの携帯電話をバッグにしまった。  使えないものをいつまでもいじっていたって仕方ない。 「無理です、無理です。ふむ、しかしね、私はその全部を知りたいんだよ。ホッホ。そうだ、綺麗な綺麗な花姫さんが君のことを待っているよ、姫桜(ひめざくら)だよ、姫桜だよ」   全てを知りたい――。  途方もないことを簡単に口にする老人だ。 「はあ」と、僕は曖昧にうなずいた。 「えっと……それで、姫桜さまのところへ行けばいいんですね。知らない名前だなあ。まだお会いしたことはないです。綺麗な名前ですね」 「伝えたよ、伝えたよ、それじゃあ研究があるから私はまた出かけるとするよ」 「あの」 「うん?」 「……いえ、なんでもないです」  冷たい床から立ち上がり、お仕着せの黒衣を正した。  どうせ、聞くだけ無駄だ。    どうすれば外へ出られるのか。  たったひとつの方法とは何か。  どうして蓮は僕に『諦めろ』などと言ったのか。  どんな危険(リスク)があるのか……なんて。  怖いから、と正直に認めるのも――そう、癪だから。
いいね
ドキドキ
胸キュン
エロい
切ない
かわいい

ともだちとシェアしよう!