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〈第一章・2〉

 こんな世界。  おかしい〈世界〉だ。狂っていると思う。    桃源郷といえば、きこえが良いのだろうけれど――。  洋館に住み、忙しげに立ち振る舞う数少ない男たちは、全員等しく〈黒子〉と呼ばれ、その名に違わず頭のてっぺんから爪先まで、黒いスーツを義務づけられている。  黒いシャツに黒いスーツ、黒い靴下に黒い革靴。  CIAの秘密エージェントだって、これほど黒くはないと思う。 「えーと、牡丹、牡丹……ここか」  素朴な木製のドアの上に掲げられた、銀色のネームプレートを確認してノックする。 「はーい」とすぐに返事があり、先ほど文句を言いに来た栗毛の娘がドアを開けた。  素朴なドアからは想像もつかない、中国風と和風が不思議にミックスされた豪華な室内。僕は彼女と〈招待客〉の使用した寝台を眺めた。  シーツがぐしゃぐしゃに乱れている。  急いで掃除をしなくては。  ジャケットを脱ぎ、腕まくりをしていると、後ろからギュウと抱きしめられた。 「うふふ。千秋、おひさまのにおいがする」 「さっきまで洗濯物を干していたんですよ」  僕の言葉に、彼女は「そうなんだ」と笑うと、ふうっと耳に吐息を吹きかけてきた。 「ね、いいでしょう?」 「あなたに、掃除をしろと言われて来たんですけど?」 「やだあ、名前で呼んでよう。あたしの名前。ねえ、あたしは、ぼ、た、ん」 「はいはい、牡丹さま」 「それじゃあ、ダメ」 「え? じゃあ、どうしたらいいんだよ」  僕の口に、小さな人差し指を当てる。 「牡丹。誰もいないところでは、あたしのことをそう呼んで」 「分かったよ、牡丹」 「うん。うふふ、嬉しいわ。ねえ千秋、もっときつく抱いて」 「だって、強くしたら折れちゃいそうじゃないか」  折れないわよう、と言いながら、牡丹は僕の口を柔らかな唇で塞ぐ。 「――ん、ん……。ふふ。ねえ、千秋。あなたは、あのひとの生まれ変わりなのかしら? ねえ、もっとぎゅってして。抱いて」 「……あの人って、誰?」  彼女は悪戯っぽくほほ笑むが、僕の問いには答えなかった。
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