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〈第一章・1〉
「黒子 さん、あたしの部屋の掃除が済んでないわよう」
シャラン、と紅色のドレスについた鈴を鳴らして、栗毛の娘が僕の黒衣の裾を引いた。
あどけなく可憐な顔をしている。
桜色の唇には、人工的な色合いはない。
華やかにほほ笑む彼女の名前をすぐに思い出せなくて、僕はただ「すみません」と頭を下げた。
「いいわ、許したげる。うふふ。久しぶりに入った黒子さんは、若くて良い男ね。でもホント、そっくりよねぇ……。名前は何だったかしら、えっと」
「千秋です。そうからかわないで下さい」
言いながら、ようやく彼女の名前を思い出して、添える。
「牡丹 さま」
「なによう、ホントだってばぁ」
正解だったらしい。良かった。
「すぐに行きます」
そう言って、素早く一礼した。
――男達と、この世のものとは思えないほど美しい人形姫に捕らえられ、数日。
なんとか生き延びられた僕は、古めかしい洋館に、住みこみで働いている。
どうやら、この〈世界〉に存在する建築物は、この一軒だけらしい。
散々、逃げ出そうと企んだ。
夜陰に隠れてがむしゃらに走れば、帰ることが出来ると思った――最初のうちは。
しかし、いくら駆けてもどうしてもここに戻ってきてしまう。
魔法のように――いや、呪いのように。
逃げ出すたびに、胡蝶蘭に笑われた。
〈お前は妾のものだ。それが嫌なら死ぬがいい〉
あんまりだ。
だが、いくら理不尽に思ったところで、どうにもならない。
逃げる場所も隠れるところもないのだ。
与えられた環境に適応するために、僕は働くことを選んだ。
広い洋館の中を行き来する人影は、胡蝶蘭と同じくらいの年頃から、三十には届かないほどの若く綺麗な娘と〈お客さま〉として招待された品の良さそうな紳士たち、それから、僕と同じようにここで働く黒ずくめの男たちだけだ。
富裕層限定といだけあって、お客さまは年配の男性が多い。
一方、洋館の住人には、老いた人間はいない。
いや、ひとりだけいたか……接することがほとんどないから忘れかけていた。
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