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〈第一章・38〉

那津(なつ)という名前でした。あの黒子さんも迷い人でございました。懐かしい話、大昔の話でございます」 「なつ……?」 ――夏の次には、秋がくる〉 (そういうことか)  姫桜はそのまま黙ってしまった。  桜の紙巻を優雅にふかしている。  僕は、場を取り繕うために、わざと音をたてて下品にお茶を飲み干し、おどけてみせた。 「えーっと、まさか、その那津さんが僕に似ていた……なんて?」  しかし姫桜の顔は、さっと憂いの色に変わる。 「ええ、そっくりそのまま、同じ顔」  *  姫桜の部屋から出て、だだっ広い廊下を歩いている。 〈ただ、顔が……。たまさか、妾の好みだったのさ〉 〈そっくりそのまま、同じ顔〉 〈夏の次には、秋がくる〉  二人の花姫の言葉が、何度も何度もぐるぐる回っている。  いったいどういうことなんだ――。 「千秋」  背後から響く、琴の声。 「……っ!」  ドキリと心臓が跳ねたが、なんでもない風を装って振り返った。 「はいはい、何のご用ですか、胡蝶蘭ねーさん?」  牡丹から紙巻を分けてもらって一服したとはいえ、まだ頭が重い。  自分の声に棘があるのを感じるけれど、そんなの絶対僕が悪いんじゃない。    二十代の中ごろくらいに見える花姫たちが、胡蝶蘭の両脇に従っていた。
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