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〈第一章・36〉
あの高揚感を、多幸感をどう表せばよろしいのでしょう。
まばゆいばかりの自家用車は、妖精さんの乗る夢の国を走る馬車のよう!
みるみるうちに遠くなっていく、掃き溜めの町。
さようなら、私はここには帰りますまい。
二度と。
――ええ、二度と!
『ふっ、ふふ……』
哄笑を叱る者はおりませんでした。
あのひとは、気の狂れたように笑い続ける私の手を温かく握りしめて、時折頭を撫でて下さいました。
誰にはばかることもなく、これからは幾らだって笑えるんだ。
大きな声を出したって、殴られることはないんだ。
――私は。
そうして――かどわかされたのでございます。
*
「それからここに?」
僕が身を乗り出すと、姫桜は、ゆるくかぶりをふった。
「すぐに、というのはやはり無理でございました。私には学も品もありませんし、何より〈月のもの〉もございません。殿方のお相手を勤めさせていただくには、役者不足でございます」
姫桜は、すっと紙巻の置かれている盆に手を伸ばす。
「あのひとの言葉通り、私は元男爵家の別邸で、小間使いとして奉公させていただきました。身の回りにひとりだけ、私と同じようにどうしようもない親から引き取られ、教育を受けている子供がおりました。初めて友達というものができました。もう、本当の名前を忘れてしまったのだけれど」
寂しそうに言って火を点ける。
桜の香りがふわりと漂った。
「他にも養い子がいたのですか。その方は、こちらにはいらっしゃらないのですか」
「……。おりません」
彼女は一瞬、紙巻を手から滑らせて盆に落としてしまう。
ジュウ……と、煙草盆にある灰皿に張られた水が小さな音をたてた。
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