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第5話 ミュカレとアグロヴァル

 翌朝、ミュカレは父親のシーヴァルトにクレフとともに呼び出されていた。ミュカレはクレフについてこなくてもいいのに、と断ったのだが、彼はそれを良しとしなかった。クレフにとってミュカレの側に1分1秒たりともいられないという事は絶望の壁にいるようなものだからだ。 「父上の呼び出しとはいったい」 「きっとミュカレ様をお認めくださったのではないでしょうか」 「だといいのだが―――まだまだ私はお前にも勝てないし、父上にも勝てない、フランドリウス家の人間としてはひよっこだ」  シーヴァルトの部屋の近くまで来ると、部屋から出てきたのだろうアグロヴァルとすれ違った。ミュカレは壁に立ち、頭を下げるがクレフはそれをしない。アグロヴァルはクレフとミュカレそれぞれに苛立ち、声をかけた。 「おい、ミュカレ」 「はっ、なんでしょうかアグロヴァル様」 「お前、もう少し部下の躾をしっかりつけたほうがいいぞ」 「部下……クレフの事でしょうか? 彼がその、何か?」 「(自覚症状がないのかお前は)―――そいつの横柄な態度をもう少し教育しろ、と言っているんだ」  アグロヴァルは元々ミュカレを好いている。自分自身を負かした相手でもあり、女にしては気取らない感じが好ましいと常々思っている。だからこそべったりくっついているクレフを気に入らないのだが―――。 「恐れながらアグロヴァル殿、俺の主はミュカレ様のみ。カークス家の家訓をご存知でしょう」 「クレフ!」  ミュカレはどうしても長年の仕打ちと教育からラストゥ母子に対してまるで使用人のようになってしまう。彼女自身の諦観も大きいのだが、いくら声を上げてもラストゥが握りつぶしてきたことが彼女の性格を作り上げてしまった。  ユシヤとラストゥはねちねちといじめてくるのだが、アグロヴァルだけはこうして正々堂々とぶつけてくる。そのせいもあって、ミュカレはアグロヴァルにはそれなりに心を開いて対応していた。  クレフは彼女の性格形成をずっと側で見てきたため、彼女以上にラストゥ母子に対する憎悪が強い。特にラストゥやユシヤ以上に、自分と同じ性もあり、かつミュカレに対して心底慣れ慣れしく接している彼への憎悪は激しく燃えている。 「(いつか必ずあの母子をこの手で―――)」 「相変わらずミュカレ以外には狂犬になりやがって。ほんとカークス家の人間かよって思うぜ」 「アグロヴァル殿申し訳ない、その……クレフには私から」  申し訳なさげに謝るミュカレの姿に、アグロヴァルの歪んだ心に火がついた。気取らず自分を負かせたミュカレを好いている一方で、自分を負かせたミュカレを屈服させたい雄の征服欲が彼の中に燻っているのだから。 「ああそうだな。……ならミュカレ。部下の不始末を拭う代わりとして、俺に口づけをしろ」 「!? くくくくく、くち、くちづけっ!?」 「―――――――っ!?」  アグロヴァルの言葉に、顔を真っ赤にして驚くミュカレと、真っ黒でおぞましいほどの殺気を暴発させて彼にぶつけるクレフ。 「(おお怖い。わかりやすい対応しやがって)」 「ミュカレ様、口づけなどしなくても構いません。俺が謝ればよいのですから」 「へぇ、わかっているじゃないかクレフ。そもそもなぜ俺がこんな事を言ったのかわかるのか」 「当り前だ。貴方はミュカレ様の性格につけこみ、なにかといちゃもんをつけて絡んでいる。今回の件も、俺が頭を下げなかったのがあるのだろう」  床に頭をつけて平伏すればいいのか、とクレフは普段見ることのない激情家で苛烈な側面を見せる。寡黙で冷静、冷徹な彼の性格のみを知っている人からすれば、あそこまで雄弁を振るうクレフを見たことはないに等しいのだから。 「クレフ、いい。お前がいくら無礼を働き、それを償おうとしても責は上司である私にある。だからいいんだ」 「し、しかし!」 「―――だそうだ、クレフ」  アグロヴァルはクレフに勝ち誇った笑みを見せる。 「だがアグロヴァル殿……その、口づけだが、唇はかか、勘弁してくれないか……せ、せめて頬で……」  顔を赤らめながらもじもじと言うミュカレ。アグロヴァルは仕方ないな、としぶしぶ承知したそぶりを見せる。彼にとっては恋敵にも近いクレフの目の前でミュカレがキスをする、という事実さえあればいいのだ。  たとえ言いがかりをつけたとも、難癖をつけたとも―――過程はどうあれ「ミュカレがキスをした」という事実があればいい。 「―――――――ッ!!!!」  アグロヴァルの予測通り、それは効果覿面だ。心底憎々しい表情で、悔しそうな顔で、今にもアグロヴァルをめった刺しにしそうな感情を垂れ流した目で見つめるクレフ。彼の中では今すぐにでもアグロヴァルを殴りたいというクレフ自身の気持ちと、主人に恥をかかせてはいけないという部下の気持ちがないまぜになり濁流となって彼の心を蝕んでいた。びりびりと静電気が飛ぶ。 「………んんっ」  ミュカレは早々におわらせて父上のところに行こうと脳内で思っていた。其の為なら口づけぐらい―――と思っていたが、やはり異母弟であっても男。その逞しい香りと雰囲気に一瞬戸惑いが生まれる。  何故ならミュカレは彼らと離れて育ったために、アグロヴァルの体にここまで近づいたことは殆どなかったからである。模擬戦闘は互いに敵として見ている為、ミュカレは彼を男としてそう感じたことはない。そもそも異母弟を男として見るなど―――ミュカレは自分の破廉恥な脳内を叱咤する。 「(何を考えているんだ、私は! これは罰、罰なのだから)」 ――――ちゅっ  軽快なリップ音をたて、ミュカレはアグロヴァルの頬に口づけた。その口づけ音が廊下に響く。ミュカレはこれで満足だろうか、と顔を真っ赤にしてアグロヴァルに問う。 「ああ―――満足だ」  アグロヴァルはミュカレににやりとした笑みをこぼす。その笑みの本質を知らないミュカレは許してもらったことに安堵し、クレフに声をかけた。 「クレフ、行くぞ」 「―――はい」  ミュカレは何事もなかったように振る舞ってクレフを呼び、シーヴァルトの部屋に向かう。 「(あ、あれでよかったのだろうか……満足だとアグロヴァル殿は言っていたけど……)」 「待てミュカレ……!」 「何でしょうか、アグロヴァル殿」  まるで仕事のように淡々とした対応。アグロヴァルは先ほどまでの秀麗で勝ち誇った笑みを崩す。だがアグロヴァルがミュカレに手を伸ばす前に、先に動いたのはクレフだ。クレフはさりげなくアグロヴァルとミュカレの間に入った。彼は先ほどまでのおぞましい殺気を封印し、アグロヴァルとすれ違う瞬間言葉をこぼした。 「―――所詮、貴方はあの御方にとってはその程度の男だという事です」  冷静に、また一切の感情のない声で告げたのち、何事もなかったかのようにクレフはミュカレの後ろについて、彼女とともにシーヴァルトの部屋に向かった。一人残されたアグロヴァルは何も言い返すにぐっと唇をかみしめるだけだった。
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